登山者数が世界一多い山といわれている高尾山。
そんな高尾山近くの地下には、太平洋戦争末期に掘られた総延長10キロにも及ぶ日本最大級規模クラスの巨大な地下壕があるのです。
普段は立ち入る事はできないのですが、「浅川地下壕の保存をすすめる会」による月一回ほど主催するツアーで入る事ができます。
見学には事前予約&参加費用500円(資料代+保険料) が必要ですが、ワンコインでツアーに参加できるはありがたいですよね。
コミュ障の自分も悩みながらも、是非見てみたいという欲求に勝てず参加してきたという参加してきたという個人的な備忘録となります。
集合場所は浅川地下壕の最寄り駅となる高尾駅
集合時間に遅れてはいけないという心配から1時間以上早く着いてしまった。駅前にドトールがあったので時間をつぶす。
集合時間前に合流すると既に30名近い人数が集まっていた。
参加者は単独男性が多い印象だけども、別回では小さい子供連れで参加する家族が多いときもあるようだ。
ツアーらしく旗についていくのはワクワク感もあるけど、ちょっと恥ずかしい。
駅からいきなり地下壕へ向かう訳ではなく、途中何カ所かで浅川地下壕の歴史説明やトイレ休憩も挟む。
地下壕へ入る前には、ヘルメットを貸し出してもらえるので装着し、持参してきたライト&軍手の準備。
事前にアリエクスプレスで購入したヘッドランプも装着しようと試みたが、すぐに外れてしまい装着出来なかった… 事前に装着の練習をしておけばよかった
ヘルメットを装着しての探索は山梨県富士河口湖町にある西湖ネイチャーセンター以来だ。
いただいた資料を参考に、あらためて浅川地下壕の紹介
浅川地下壕は現在の高尾駅周辺の山々に跨り3箇所存在。それらは「イ・ロ・ハ地区」と別けられており。見学出来るのは「イ地区」のみ。
当初は軍の倉庫として目的だったのですが、本土攻撃により武蔵野市にあった「中島飛行機武蔵製作所」が工場疎開として移ってきて、終戦までこの地下で飛行機部品を作っていたというから驚きです。
許可を得てるとはいえ、個人宅の敷地内に30人ぐらいでゾロゾロと入っていくのは貴重な経験だ。
個人宅の裏にある地下壕への入口
入ってすぐは足場も悪くぬかるんでいたり、ゴミも落ちていた。
戦後はマッシュルームの栽培などで地下壕が使用されていたとあるのでその影響だろうか?
ただ少し歩いていくとご覧のような地下壕世界。
身長が175センチの自分でも閉塞感を感じない高さ。横幅も4メートルを超える
地下壕内には照明設備は一切無いので、見学参加者は各自照明を持参するようにと事前にも案内。
30名ぐらいの皆でゾロゾロと同じ方向に照らすので暗さには困らないけども、進行方向と違う方面を見ると…そこは漆黒世界
壕内に入ると足場は安定しているけども、途中途中には画像のような場面もある。
足元を照らしながら小幅で進んでいく。
岩肌を見ると素掘りらしく荒々しいのがわかる。
壁に見える白い部分は「カビ」
訪問日の天気は晴れだったけども、壕内では常に湿気を感じる
掘り崩した岩石を運び出すトロッコ用のレール枕木とみられる木片 ※画像ブレブレで(;’∀’)
壕内にあった設備等のほとんどは戦後に撤去されているらしけども…
そんな壕内に落ちていたというネジ?(説明は忘れちゃいましたw)
まさに本日拾ったという事で紹介があった。
ただ壕内を歩き回るだけじゃなく、途中何カ所かでも浅川地下壕の説明をしてくれるのはありがたい。
自分も途中ワッシャーみたいな物を見つけたけどもコミュ障が出てしまい。 誰にも言わず無言で写真だけとる。
ある程度進むと鉄格子により塞がれている箇所へ。
この先もまだ続いているようだけども、落盤などで通行禁止となっている。
また いただいた資料を参考にさせていただきます。
画像は壕内で撮影された中島飛行機地下工場での日本人労働者の姿。
戦後に撮影されらしく、工場稼働時の様子をイメージして米軍によって撮影されたらしい。 機械はアメリカ製という説明を聞き驚いた。
こんな真っ暗で湿気も混じっているような悪環境なので、工員たちの体調不良続出し、肝心の飛行機エンジンの生産性も悪く、当初一か月300基の計画予定に対して、終戦までに完成したのは約10基分しか出来なかったとか。
戦争の虚しさと愚かさを感じる
途中分岐点があったりもする。そしてある程度奥まで進むとコウモリが普通に飛んでいた。
こんな地下壕内には東京大学地震研究所による地震計が設置されている。地表の振動影響を受けない地下壕地盤は良い環境のようだけども、影響が出ないよう見学会の時は予め知らせているようだ。
荒々しい岩肌が剥き出しの箇所に穴があり、ダイナマイトを使用し岩盤を爆破し掘りすすめた跡らしい。
この巨大な浅川地下壕は、約2.000名もの朝鮮人労働者も動員され掘り続け、約4.000名近くが劣悪な地下壕でエンジン作りで働いていたという
奥までくると鉄鋼枠が出現。
1999年に浅川地下壕をテレビ取材中のタレントが偶然にも、落ちていたダイナマイトを見つけたのです。
その後そのあたりを詳しく調べると土砂で隠された部分からは大量のダイナマイト。 終戦前日に隠すようにと指示があり隠されたようです。 テレビ放送ではさすがにダイナマイト発見と言わず伏せていたようですが、発見したタレントというのが今も活躍している東野幸治さん。
その見つかったダイナマイトを自衛隊が処理する為に鉄鋼枠が設けられたようです。
約1時間近くと日常では味わえない世界を満喫した。
外の日差しが見えた時はほっとしたのを自分自身でも驚いた。
当時 この地下軍事工場で働いていた人達も、外の日差しを見た時は同じような気持ちなったのだろうか?
こうして身をもって味わった戦争遺構。 本やネットで知識を得る事も大事だけども、実際にその場所に訪れ考える機会を得られる戦争遺構は今後も貴重な場所なことには変わらないので、是非とも味わって欲しい。