2泊3日で大阪へ訪問したさい、関西に住む悪友と会う事ができた。
年齢も近く、上下関係もなく気さくに会話が出来る友人の存在は非常にありがたい。
そんな悪友が大阪に来たのなら一度は見た方が良いと勧めてきた場所は飛田新地だ。
あらためて説明は不要だと思うけど、大正時代に築かれた日本最大級の遊廓。
悪友はいつかは無くなる場所だから! と仕切りに見るだけでも!と客引きのように勧めてきたので一緒に歩いてきただけの、個人的な備忘録となります。
観光地で見るスマートボール 大阪では射撃と同じぐらい多いイメージ
以前 神奈川の相模湖で初めてスマートボールをやったときは、1度も持ち球が増える事がなかったけども、大阪では自分も友人も持ち球が増え、景品と交換してもらった。
さあ 到着しました。 飛田新地と呼ばれてるエリアです。
案内してくれてる悪友によると、通りによってエリアがわかれているし、関西には規模やシステムが異なりながらも遊郭は5カ所ぐらいあるようだ。 悪友は自慢げに違いを語っていたけど、一切覚えていないw
悪友の目がキラキラしてきたけど無視して、まずは行きたかった飛田遊郭(遊廓)大門 跡
東京の吉原のように遊郭に入るには入口が限られていたようでその大門跡です。
画像の人はずっとしゃがみこんで泣いており、こちらも「大丈夫ですか?」と声を掛けるも無反応…とゆうか泣きっぱなし。とりあえず飛田遊郭(遊廓)大門 跡を撮影 笑
色んな感情が渦巻く街です
明治45年に難波新地の遊郭は火災にあい、このときに遊郭の代替地となる。 大正7年に飛田遊郭が開郭しました。飛田大門は開郭より飛田遊郭の玄関口として機能しており、昭和12年には遊客数では松島新地を上回り、昭和20年には第二次世界大戦戦争で大門通より南側の東の一部と西部を焼失するが、大門は焼失を免れる。その後 昭和33年に飛田遊郭は廃止になりましたが、飛田大門跡は当時の面影を伝えるものとして現在に残されているそうです。
東京の吉原遊郭を囲ってた「お歯黒どぶ」と言われた堀も有名ですが、飛田遊廓にも通称「嘆きの壁」と呼ばれていた囲いがあったそうです。
今でも一部が見られるようですが、ここで友人がどこかへ消えてしまい探すなどしてバタバタしてしまい写真を撮り忘れてしまいました。
飛田エリアでは有名な料亭「鯛よし百番」
大正、昭和初期の実際に使用されていた遊廓建築を今でも見れる事ができ、国の登録有形文化財に指定されてます。 さらに食事を取る事もできるそうです。 時間の調整が合わず断念しました…中も見たかったので残念すぎる。 ※色んな人のyoutubeに内部もたくさんアップされてます。
何となく撮影した飛田新地料理組合
飛田新地では撮影がかなり厳しいようす。 なので営業している場所近くではもちろん、紛らわしい行動もしないようにと緊張してましたw
街中も防犯カメラがいっぱい
駐車場も完備されているのか! と驚きました。 にしても平日の昼間だというのに飛田新地を歩いている男が実に多いこと。 自分もそんな1人ですけどね笑
歩いているだけじゃなく、車から見学している人もいるようで、そいつが荒々しい&不注意が多い運転でただの恐怖だった。 正直 こんな場所で轢かれたら嫌だなと思い 早々に退散しました。
少し離れた場所で食べたお好み焼き いがいと言ったら失礼だけども美味しかった。