長崎県対馬の周囲は、日露戦争の日本海海戦のあったところです。
この海戦のさいに、撃沈されたロシアバルチック艦隊の水兵たち143名が4隻のボートに分乗し、対馬の対馬市上対馬町西泊に上陸。 農作業をしていた地元農婦たちは命からがら逃げてきた水兵たちを水が湧きだす泉へ案内したり、夜は西泊の民家へ分宿させるなど手厚く持て成したという話が語り継がれております。
そんな話を聞いた自分も、いつか現地を訪れたいと思っていたので、実際に訪ねてきた個人的な備忘録となります。
対馬沖で繰り広げられた日本海海戦を記念して地区住人により建立された日本海海戦記念碑が見える。
到着したのが夕刻なためないけども、普段は日本とロシアの国旗が掲げられているようだ。
※ブログ記事作成時(令和4年8月) 現地ではロシア国旗は掲げられていないことがあるようです。
対馬沖で眠る日本兵・ロシア兵 両国の戦没者を悼む
1人2人とかじゃなく、143名もの戦争中の相手が突如、この数百メートル先で上陸してきたのに、恐れずに手厚く持て成す地元の人達の勇気はすごい。
後日この話を聞き、心を動かされた東郷平八郎連合艦隊司令長官
恩海義喬(めぐみのうみ、ぎはたかし)は、「戦争で死の海となった対馬の海が恩愛の海となった。対馬の人たちの義は気高いものだ」という意味を表しています。
公園と道路を挟んで反対側にある巨大レリーフ「平和と友好の碑」
意味がわからないと、とことん意味がわからない。
バルチック艦隊司令長官ロジェスト・ウェンスキー提督が対馬沖にて重傷を負い、佐世保の海軍病院に入院中に、日本連合艦隊司令長官・東郷平八郎が鄭重にこれを見舞ったシーンらしいです。
海戦から100年を迎えた平成18年に、東郷平八郎・ロジェスト・ウェンスキーのそれぞれのひ孫が対馬で対面もはたしている。
ブログ記事を投稿している本日9月3日は、ロシアでは「対日戦勝記念日」・「大戦終結の日」など言われてるらしいです。 最近では9月3日を「軍国主義日本への勝利と第2次大戦終結の日」という法案が提出されたとか…
一方 日本でも9月3日を「ロシアの北方領土不法占拠に抗議する日」にしようという活動も始まっており、まだまだ日本とロシアの間には77年経っても問題は山積みです。
ロシアによるウクライナへの侵攻は今も続いており、改めて平和が訪れることを祈ります。