先日 浅草方面に行ったさい
どうしても行ってみたい場所がありました。
それは 凌雲閣 別名 浅草十二階とも呼ばれていた場所です。
凌雲閣(りょううんかく)は、明治時代に大阪と東京に建てられた眺望用の高層建築物。大阪の凌雲閣は1889年竣工の高さ39m・9階建て、東京の凌雲閣は1890年竣工の高さ52m・12階建て。どちらも現存しない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この凌雲閣
名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味したらしいです。
当時は12階建ての建物なんて珍しく 展望台へ行くための料金は、今の金額に換算して スカイツリー展望台に登る料金と変わらないぐらいの額だったらしいです。
また日本初の電動式エレベーターを備えており、それ目当てで行列が出来ていたとも聞いた事があります。
十二階ならば階段の方が早いのですけどね それに完成度も低くよく故障もしてたらしく そんな状況なので観光客も徐々に減り経営難に…
そんな凌雲閣も1923年(大正12年)の関東大震災で、途中の階(8階)から折れて半壊
地震が起きた時も見学者がおり 12~13人が死亡。
その後 半壊していたかつて凌雲閣と呼ばれていた搭は、爆破解体。
当時の跡を訪ねてみた
あたりまえですが、面影もありません。
かつて 凌雲閣があったとされる場所は、今はパチンコ店となっており
店の前に 凌雲閣史蹟保存会の方たちによる ”浅草凌雲閣記念碑”が
ひっそりとありました。
そして 2018年2月にこの近所のビル解体作業をしていると
凌雲閣の基礎部分のレンガなどが出てきたらしいです。
難しい事はわからないけど… 急な出来事だったので行政的手続きの関係で保存などは出来なかったらしいです。
発見当時は、ニュースにもなっており、自分も見た事を思い出しました。
処分してしまったその当時のレンガ 欲しいですね~ 笑
今ではもう新しいビルが建っており
当然ながら 凌雲閣の基礎跡は伺えませんが、 ビル壁面にイラストを残してくれており 粋を感じます。
そして 凌雲閣のあたりは当時 飲み屋なども多かったらしいですけど
それは今でも同じような印象を受けます。 近くにはホッピー通りもありますし
その賑わいが 今はコロナ禍で静まっているけども…
また いつの日か人との接触、距離を気にせず 賑やかに交流が出来る日が再びくるこを望みます。
凌雲閣から近い場所で撮影した スカイツリー
規模は違うけども… こうして見上げる気持ちは当時も今も変わらないのかな