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東京 なんで?大田区と品川区の2か所ある大森貝塚の発掘記念碑

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 自分が小さいころ親の友人が自分にくれた1冊の本。 それは子供向けの色んな偉人をマンガ調で紹介してくれる本だった。
中には1877(明治10)年に動物学者エドワード・シルヴェスター・モース(以降モース博士)が、横浜から新橋へ向かう汽車の車窓から貝塚を発見し、後日発掘調査をおこなった。これが日本初の発掘調査であ-ると描かれていた。 

これを読んで思ったのは「なんで鉄道レールを敷いた人や地域住民は発見できなかったの?」というモヤモヤした気持ちでいっぱいになったのを今でも覚えてます。 

先日 貝塚発見の地の最寄り駅である京浜東北線・大森駅近くに用事があったので、せっかくならばと貝塚発見の地を学習しようと訪ねてきた個人的な備忘録となります。

東京都大田区にある大森駅内のホームには「日本考古学発祥の地記念碑」

土器レプリカの後ろの看板を見ると映画にもなった「ビリギャル」のモデルになった塾も大森駅が最寄りとある。へぇ~とそんな感想

大田区にある大森貝墟の碑

大森駅の西口からちんたら歩いて5分ほどで最初の目的地に到着。
NTTデータビルとマンションの間にあるので本当に入っていいのか不安になる。

見学は自由だけども、9:00~19:00までと時間制限が設けられてるようだ。

建物と建物の間なので日差しが届かず薄暗い。 
そんな通路の途中にもモース博士と大森貝塚の説明板を設置してくれている。

入口から階段を降りるなど小道進むと線路沿いにでる。
日本初の鉄道路線だけあって今も数分おきに電車がすぐ横を通過していく。

大森貝墟碑

すぐ横を通る電車の乗客にアピールしているようにも見える記念碑。
 大森貝塚ではなくて、大森貝(かいきょ)となっているのが気になるところ。

記念碑の裏にまわってみる。 昭和5年4月に建立とかいてあるのがわかる。

にしてもすぐ横を電車が通っていくので怖いくらいだ。
モース博士が貝塚を発見した時に乗車していた汽車はもっと速度が遅かっただろう 

もうひとつの記念碑がある品川区

さきほどの大田区の大森貝墟碑から徒歩4分ほどの近い場所にある大森貝塚遺跡庭園
大田区と品川区の堺をいつの間にか過ぎていたようだ。

にしてもこの大森貝塚遺跡庭園が立派だ。 いや~さすが東京都品川区ですね!と思わず諂ってしまう。

公衆トイレも一目でわかる縄文土器がモチーフになっている。 なんか力の入れ方がすごい

広場の中央部からは30分に1回ほど霧が出る仕組みがあるようだ。 
自分がカメラを向けた時は既に霧の消えかけ。 霧が出てる最中はこども達が大勢あそんでいたので、自分も不審者扱いされたくないのでカメラを向けて撮影できなかった。笑

なんか東京ディズニーランドなりディズニーシ―とかにありそうな迫力ある装飾。 

って行ったこと無いけどさ…

スロープも完備された公園。 
車椅子利用者の目線にも縄文という時代の名の元にもなった縄の跡

大森貝塚遺跡庭園にあるモース博士の像。 
ちょいリアルで薄暗いときに見たらビビるかもw

モース博士の誕生の地であるアメリカ合衆国メイン州ポートランドと姉妹都市提携されているようだ。

貝殻を連想するような形の貝塚展示ブース

貝層の剥離標本も展示してくれている。

 当時の鉄道工事をしていた人や周辺住民たちも貝塚を見ていたらしいけども、結局 ただ貝殻がたくさん落ちているなぐらいにしか思っていなくて、モース博士により発表されるまで歴史的価値があるとは思わなかったらしい。


公園の奥 線路近くにある大森貝塚記念碑

こちらの記念碑は昭和4年に設置されたようです。 ついさっき先にみた大田区の大森貝墟碑よりも1年先に設置されていたとわかった。

品川区民が記念碑を建てたからと、負けじと大森区民(※昭和22年大森区と蒲田区が合併して今の大田区)も1年後に記念碑を設置し、大森貝塚の地を争うことに

結局 どっちなの? 記録を残すって大事ね

結局この争いが解決したのは、昭和59年に改めて発掘調査をしたところ品川区側からモース博士の発掘記録と同じ発掘の痕跡が見つかった。 さらに当時の東京府が品川区の土地所有者に対して調査の補償金支払った記録もでてきたのが決め手となった。

さきほどまでウロウロしていた大森貝塚遺跡庭園は昭和60年に開園。 
どっち問題が解決した翌年に開園、そりゃ縄文への力のいれようがハンパないわけだよ。

品川区の大森記念碑を歩道橋から撮影。 マンション先の木あたり

結局 大森貝塚は品川区で発見されたことが判明したけども、大田区が間違えていた訳でもなく、これには仕方がないがあります。

モース博士と学生たちにより発掘調査がおこなわれたのですが、モース博士は考古学の知識があるとはいえ本来は動物学者。 同行している学生にいたっては素人。 発掘作業は夢中で行うけども、発掘地点などの記録が曖昧なまま発掘報告書を残し、その報告書の発掘場所は「大森村」とだけ書かれていたため、大森貝塚の場所は大田区なのか?品川区なのか?とあとあとまで揉めたようです。

結果だけじゃなく記録をつけるのって大事なことね… 
大森という地名は全国区になったけども、大森貝塚は品川区にあるという不思議な感想。