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都道府県別B級珍スポ

長崎 爆心地から約100メートルの距離 平和公園にある松山町防空壕群跡 

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昭和20年(1945年)8月9日、午前11時2分に投下された原子爆弾
その爆心地の北側部分に悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓い設けられた平和公園

平和公園のシンボル・平和祈念像
 多くの人が静かに訪れ、各々に平和の尊さを再認識している

随分前に像に平和記念像がいたずらをされたことを思い出した。
 実際に現地に訪れてみたからこそ余計に思うけど、よくこのような場所でそんな悪ノリ行為ができるもんだ。

せっかくなのでと像の裏側へまわってみた。 
台座には小さく「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が刻まれているそうだ。

戻りもエスカレーターを使用する。
 以前は階段のみだったそうだけども、訪れる高齢者の負担軽減を目的に35.6メートルもの長さを誇る。 

平和公園と書かれている裏側に注目

そんなエスカレーター工事着工時の2011年に発見された防空壕

その防空壕の解説版は平和公園と書かれたちょうど裏側にあり気づかれにくいかも。 階段利用者ならなおきづきにくいと思われる。

この平和公園の周囲の斜面には多くの家庭用や町内用の横穴式の防空壕が 多くつくられていたそうで、こちらも爆心地からわずか100メートルの距離にある防空壕。

爆心地から半径500m以内にいた人々はほとんど即死だったが、爆弾落下当時、たまたまこの中で遊んでいたために奇跡的に助かった9歳の少女。この松山町では所用で町を離れた人々を除きの唯一の生存者と言われているそうだ。

ただ一緒にいた妹様は亡くなられており、防空壕=安全 といったものでもないなと改めて痛感

防空壕を覗くと透明のアクリル板のような物が設けられており、内部をのぞくと照明が点いてる。 当然だけども人が入る事はできない。

エスカレーターを工事するさいに安全面を考慮して一部が取り壊されたようだが、残った防空壕は平和学習の場として保存されている。 

ただ多くの人が、防空壕の存在に気づかないないで平和公園を往来しているようにも見受けられた。

「平和の泉」にある被爆し水を求めてさまよった少女の手記を刻んだ石碑

『のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。 どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました』


噴水の前で読みあげて本当に胸が苦しくなった…

多くの人が平和を願いながらも、現在進行形で世界には核兵器の脅威は残ってる。 
それでも世界恒久平和と核兵器廃絶の願い続けていきたい。