神奈川県横浜市神奈川区にある浅野学園。 こちらの敷地には今でも戦争遺跡・防空壕が見られると知り、行ってきました。 このブログは歴史解説もなく、誰のためにもならない個人的な備忘録となります。

ずらりと並んだ防空壕。 現在、見られる光景は防空壕を塞いだ状態。学園の敷地にあたるらしいけども、道路からでも誰でも見れる。

2004(平成16年)と割と新しい解説碑があった。 空襲からの避難の他にも、日本鋼管株式会社等の機密資料を保管するためともある。
浅野学園創設者であり京浜工業地帯の生みの親とも呼ばれる・浅野総一郎。日本有数の総合工業地帯が近いだけあるなと思ってしまった。

壁を見ていると穴が開いているのに気づく。 先ほど紹介した解説碑にも「焼夷弾が火を噴き焼け落ちる学園の校舎を涙して眺めていたという。」 けど素人の自分にはこれが弾痕なのかの判別はつかない。
この場から直線距離で約2キロほどにある国道駅。 こちらには横浜大空襲のさいに受けた機銃掃射の弾痕が、今も壁面に残っているのを思い出す。

現在では見える範囲ではひとつ残らず塞がれている状態。
明らかに色が異なるので、塞がれた入口の大きさが容易に想像できる。

貴重な戦争遺跡でもあるけど、こんな縦看板があった。 確か交通量も少なそうな住宅地だしな…

学園と静かな住宅街にずらりと並ぶ戦争遺跡・防空壕跡。

学園があるのは心地よい山の上。
画像は工業地帯とは違う新子安駅方向だけども、空襲時はどんな恐ろしい景色が広がっていたんだろうか…
願わくば、こんな平和な光景が続いて欲しい。 今が次の大戦の戦前にならないように
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