北海道函館市にある金森赤レンガ倉庫に訪れる機会が多いと思いますが、その金森赤レンガ倉庫を造った初代渡邉熊四郎。函館の発展に大きく貢献されたとして函館四天王の1人にも選ばれてるほどです。
そんな初代渡邉熊四郎が開店させた「金森洋物店」が、平成12年に市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)としてリニューアルオープンしていると知り、函館赤レンガ倉庫に行く前に訪問してきた個人的備忘録です。
函館市電・八幡坂からのアクセス抜群
目的地である市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)に行くには、函館市電の末広町で下車するのが一番近いと思いますが、このあたりには他にも見どころが非常に多い。
その中の一つ『八幡坂』も非常に近いので合わせて見学するには便利
※画像は八幡坂の下りきった写真です。 普通は逆に撮影するもんですよね…
移動に便利な函館市電。 1日乗車券(¥600円)などもあるし、本数も多いので便利そのもの。
道路沿いにありました。明治13年(1880年)創業の旧金森商店です。 今はお店としてではなく昭和44年から市立函館博物館郷土資料館として見学でき、平成12年にリニューアルオープンして今も見学させてもらいます。
入場料は大人100円
建物に入るまずは入場料金を支払い、大人1人100円というリーズナブルな料金ですが、ここのスッタフの皆さんが明るく対応してくれます。 何か気になる事があれば質問してくださいねと優しかった。
1階は30畳ほどの畳スペースに明治時代のお店雰囲気を再現。
函館市北洋資料館でのスッタフさんも非常に丁寧だった。 これも函館の魅力だろうとも感じた。
2階にあがると当時の雰囲気を感じられる
このジオラマも当時の錦絵を元に再現したらしい。
ここ金森商店は明治13年に創業者の渡邉熊四郎によって建てられ、開国したことにより貿易が盛んになり、舶来性の雑貨、缶詰、小間物、洋服の生地、ビール、ケレー酒等を扱っていたとのこと。
入口看板にもあったけど、ケレーって何だと思いその場でググっても工具しか出てこなかった。
最初はカレーのような物を想像していたけども、鶏肉ケレーの次にケレー酒なる物の紹介も出てきて、ますます意味がわかんなくなってきた。
どうやらケレーはオランダ語でgelei『ジャム、煮汁』などの意味があるらしく、牛肉、鶏肉をドロドロになるまで煮込んでスープのようにしてから販売していたらしく、当時は健康食品のような扱いだったらしく。
ケレーにお酒を加えた、ケレー酒も薬洋酒のように服用されていたそうだ。
開港した函館には外国人も多くなり、様々な舶来品も普及してハイカラ志向の『函館文化』が誕生
この巨大なトランクは、初代渡邉熊四郎がヨーロッパ視察に実際に用いたもの。
中がどんな風になっているのか気になる、仕切りとかポケットとかあるのだろうか…
令和の時代を生きている、うちにある物より圧倒的なお洒落な物ばかり…
開国後 1888年の函館市街のパノラマ写真なども展示されており、いかに栄えていたのかが理解できる。
函館大火にも耐えてきた洋風不燃質店舗
函館の歴史を探ると必ず出てくる函館大火。 函館は幾度となく大火が起きており、初代渡邉熊四郎も明治12年の大火により本店他6店舗を失っており、その苦い経験から対策として不燃質化の煉瓦を取り入れた。
って大火で全てを失った1年後には、ここ金森商店を創業させたのか!行動力がすごいっす。
瓦の下に漆喰や土をと入れているので重量がすごそう。
改めて建物外観を見ると、煉瓦の上から白い漆喰を塗られており美しい外観だ。
2階の窓も時代を感じる造りで見てるだけでも、時代を感じさせてくれる。
昭和38年北海道指定有形文化財とに指定されています。
営業倉庫だった金森赤レンガ倉庫
2階に商品を荷揚げするためのスペースが今も残っており、当時の物量の多さを想像出来るのも楽しい。
観光地からされて今も多くの人が訪れる金森赤レンガ倉庫。
今の倉庫は、初代渡邉熊四郎が明治20年に既存倉庫を買い上げた倉庫は明治40年の大火で焼失し、明治42年に再健されたもの。
市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)を訪れ学ぶことが出来たので、赤レンガ倉庫にある商標の森という感じと一緒にある曲尺印が眩しく見えた。