群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原には「日本のポンペイ」とも呼ばれている地区があることは御存知だろうか?
群馬県の鎌原(かんばらと呼びます)では、天明3年(1783)8月浅間山が噴火。 その影響により発生した土石ながれが時速100キロ以上のスピードで火口より約12キロ離れた鎌原地区(旧鎌原村)を襲いました。鎌原地区は5~6メートルほど埋まる。
危険を察知し鎌原観音堂に避難した93人が助かり、同地区では477人が死亡したとされてます。
そんな鎌原観音堂を訪ねてきたという、誰のためにもならない個人的な備忘録となります。
いきなり鎌原観音堂に行くよりも、隣接している嬬恋郷土資料館で歴史のお勉強。
かる~く見学するつもりだったけども、内容が濃く1時間近く滞在。
残念ながら館内は撮影禁止。
浅間山の噴火の記録や鎌原地区から出土された展示品なども多かった。
2階にある映像も良かったですが、個人的には復興のため親を失った子には子を失った親を、老夫婦だけになった家には若者と家族を補い合って、同じ場所に10世帯に再構成した話は訪れないと知らないことだったと思うので訪問してよかった。
屋上からの景色。
雲で隠れているけども多分浅間山です。 この距離(約12キロ)で時速100キロ以上の土石なだれが襲ってくるなんて恐怖すぎる。
火山の噴火で埋没したイタリアの古代都市、ポンペイになぞらえて「日本のポンペイ」とも言われているのは知っていたけど、実際にイタリアのポンペイと交流協定しているらしい。
嬬恋郷土資料館から徒歩ですぐの鎌原観音堂。
ちょうど観光バスが同時到着して、突如として賑やかな雰囲気の中で見学することに。
鎌原観音堂は広くないので、混雑を避けるため隣接する昔ながらの雰囲気あふれる土産屋さんを先に見学(避難)。
こちらでは花まめ甘納豆を試食させてもたえた。
鎌原村・鎌原観音堂については、先ほど嬬恋郷土資料館で解説動画などを見て予習済み。
先に資料館を見てきてよかった。
15段の石階段の手間にある朱色の橋が印象的な鎌原観音堂
橋の手前は新しく整備されているけども、この下にも石段は35階段があり、本来は全部で50段の石階段だったようだ。
1979年の発掘調査では、埋没した石段35段最下部から折り重なった状態の2名の白骨化した遺体が発見。
髪の結い方や骨の鑑定などから、40歳前後の女性が60歳前後の女性を背負ってる状態での遺体が見つかったそうです。
状況から階段をあがる最中に土石ながれにのまれてしまったようだ。 2人の関係性は不明だけども、復元から似ていることから親子?親戚?と推測されているそうだ。
石階段の踏面の窪みからも歴史を感じてしまう。
たった15段 けども 生死を分けた15段。
鎌原観音堂の石段を上り切った93人が助かったというのが、文字通りの「生死を分けた15段」。
2人の白骨が発掘された時の写真も境内の解説板あるので、余計に切ない気持ちになる。
土石なだれだでは、熱損傷がなかったので観音堂は噴火前から残る建物。
いつ襲ってくるかわからない自然災害。
鎌原地区の災害は実に悲劇だったんだね という感想で終わらせるのではなく、過去の悲劇から今の自分だったら何をする? どう行動する? 日ごとから何を準備しておく? などと考えることも大切だと学んだ気がする。
噴火後の大飢饉にも関連してくる少林寺達磨寺