日本全国には戦争遺跡が多く残っていますが、鹿児島県は桜島内にも戦争遺跡が残っていました。
そこは太平洋戦争末期、日本海軍の基地があったされる場所の桜島海軍基地跡。
この基地には特攻攻撃の司令部もあったということで、今を生きる人間のひとりして興味を持ちました。
場所は、桜島への訪問で多くの人が利用するだろう桜島港フェリーターミナルから徒歩でも5、6分で行けるような場所です。
そんな鹿児島市桜島横山町にある桜島海軍基地跡を訪ねてき訪ねてきた個人的な備忘録となります。
知らなければ通り過ぎてしまいそうになる桜島海軍基地跡
目の前の道路(桜島港黒神線)はのりのりスピードで走る車両もいるので、路駐は危険なので控えましょう。
桜島海軍基地跡の前には桜島港駐車場もあり、1時間以内の駐車なら嬉しい無料。
説明板が用意されている。
「 ここは太平洋戦争末期、日本海軍の基地があった場所です。壕の高さ・幅はともに2〜3m程で、手掘りによって作られたトンネルが網の目状に張り巡らされています。総延長は約650m。壕の中には魚雷保管室や動力室がありました。この基地はアメリカ軍の本土上陸を阻止するために編成された海軍特攻戦隊の一つ「第五特攻戦隊」の司令部です。ここの近くには通信施設もあり、佐世保鎮守府や南九州一帯に配備された各突撃隊との連絡を行っていました。まさに本土決戦に備えた日本の海防の要だったのです。
また、この基地の通信兵として暗号解読などにあたっていたのが作家・梅崎春生です。彼はここで終戦を迎え、その時の体験をもとに戦争文学の傑作と言われる小説「桜島」を書きました。この基地は小説の舞台でもあり、「文学遺産」ともいえる場所なのです。
どうやらこのアーチは内部のトンネルと同じ大きさを表しているようです。 多分です…
このかまぼこ型の雰囲気。 なんだか以前、沖縄県豊見城市をおとずれたさいに見学した旧海軍司令部壕を思い出してしまった。
勝手に中に入る訳に行かないけど、中を覗くくらいならいいよね。めっちゃ隙間あるし
壕は手掘りによって掘られたらしいけど、覗ける範囲は綺麗だった。
中から冷たい冷気が覗いている自分の顔を横切っていく。まだまだ奥まで続いてそうで是非とも中に入ってみたい!
とはいったものの…特別な許可でもない限り入る事は難しいだろう。
他にも出入口なり通気口はないかと、同じ道路沿いを歩いてみると… 人が出入りすることを完全に拒んだ状態だったり
茂みに埋もれようとしているところにもあった。 他と比べて高さが低いようにも感じる。
格子状になっているので中を覗けそうだけども…虫がいたので断念。 今となっては覗いておけばよかったと後悔しまくり。
桜島海軍基地跡から車で2分ぐらいの場所には、桜島に残る戦争遺跡として魚雷格納庫跡もあるようです。
今回は時間の都合でパスしてしまったが、また機会を設けて桜島には再訪したい。
桜島フェリーに乗船したら、いただきたいのが名物「味の長老やぶ金のうどん」
ただ鹿児島港から桜島港までの運行時間は約15分ほどなので、小心者の自分は慌てまくり 笑
出来上がりまでの調理時間は実にあっという間。
乗船してから船が動き出すまでも時間があるので、必要以上に慌てなくても完食できた。笑
徒歩乗船ならもっと余裕だろう。 味は言うまでもなく美味!
片道約15分の船の旅。
うどんを食べるだけで精一杯かと思っていたけども、こうして桜島を海上からも見ることができた。 本当に良いところだった。
こんなにも美しい景色だけども、ほんの78年前までは文字通りの命掛けである「特攻」で、日本を守るために日々を送っていた人がいたことを忘れてはいけない。 そんな「特攻」の指令を出していた場所を訪ねて、改めて答えの出ない平和を維持していく難しさと尊さを考えさせられた。