広島電鉄白島駅からすぐの距離にある広島逓信病院 旧外来棟 被爆資料室。
広島市内には被爆建物が複数保存されていますが、こちらもそのひとつです。
原爆投下後の救護活動がおこなわれた、病院内部を見学出来るというので興味を持ち訪ねてきました。
ただ要注意なのは見学は平日のみで、見学希望日の5日前までに申し込まないといけません。しかも5日前というのは土日祝などを含まずなので、前もって予定を考えてメールなりFAXで予約が必要です。
そんな貴重な被爆建物である広島逓信病院旧外来棟を訪ねてきた個人的な備忘録となります。
隣には今も逓信病院が残っていますが、令和4年10月から『広島はくしま病院』に変更。
現在の広島はくしま病院前にも、原爆投下時の広島逓信病院のようすを伝えてくれる解説板
広島逓信病院旧外来棟の前にも説明板
予約した時間少し前に訪問すると、時間に合わせてスッタフの方が施錠を開け、外の落ち葉をほうきで掃きながら待ってくれていました。
そのまま内部へ案内していただき、まずはスッタフの方から広島逓信病院旧外来棟について丁寧に説明をしていただきます。
参加者は自分と同行者の2人だけなのに、無料で見学させてもらってるので申し訳ない気分にも(;’∀’)。
平成7年(1995年)に旧外来棟の『外科待合室』『手術準備室』『外科診察室』『化膿性手術室』をぶち抜き、ひとつの被爆資料室に。
画像右側部分が見切れてしまっていますが、3階が日光浴室があった。当時では珍しい採光を配慮した設計で大きい窓も多い。それが災いして大きな被害を受けたといただいた資料には記載。
しかし建物は鉄筋コンクリートだったため原爆にも倒壊は免れており、入院患者なども予め全員退院措置が取られていたので入院患者の被害者はなし。
とはいえ病院関係者は職員48名中、5名死亡、7名が重症、25名が軽症の被害がでている。
奥に扉は見えていますが、そちらは見学可能エリア外。
気になるので何があるのか伺ったら倉庫と化しているようです。
当時の院長である蜂谷道彦氏は、原爆直後からの56日間の記録を『ヒロシマ日記』として出版しており、世界18か国でも翻訳出版。
熱線で変形した窓枠などが展示された資料室。 その奥には手術室もあり自由に見学が可能とのこと。
復元された手術室
窓が割れた手術室で懸命に命を繋げている写真。
少し外も写っているけども、周囲は何も残っていない悲惨な状況なのがわかりますね
爆心地から2キロ圏内に残った病院は、ここ広島逓信病院旧外来棟と広島赤十字病院だけ。 被爆当日に収容された重症者数は250名にも及び、足の踏み場もないほどだったらしい。
床の中央には何か重たい物があったような跡。
次の旧消毒室と同じく、旧手術室のタイルは当時の物。 被爆直後のことを色々想像してしまうけど、どれも恐ろしい。
見学出来る箇所は少く、次が最後となる『旧消毒室』
消毒室なのでこじんまりとした空間なので、余計に息苦しく感じてしまう。
原爆により消毒の道具一切は失われたようで、残るはタイルのみ
2階への階段もありましたが、見学は出来ません。
平和を願うたくさんの千羽鶴などがなどがあったのも印象に残りました。
平日のみで、あらかじめ予約する必要があるので訪ねるのも大変だけども、被爆直後の状況でも献身的な医療活動がおこなわれていた地に、実際に足を運ぶことによって感じられる空気もあるので訪ねてよかったな思います。