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長崎 終戦後に約140万人が引揚した。 浦頭引揚記念資料館

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太平洋戦争が終わり、それまで海外にいた多くの日本人(約629万人)が過酷な旅路を経て帰国。
長崎県佐世保にも軍関係者・一般人など約140万人もの人数が佐世保港の浦頭の地に帰国されました。

自分の亡くなったおばあちゃんも満州から引揚げたという話を成人を過ぎてから聞き、今となれば話を聞いておけばとよかったと思う反面…きっと辛い事を思い出させてしまうから聞けないだろうなとも思ってしまう。 

そんな悲惨な引揚げ体験を後世の人々に伝えるため長崎県佐世保市には浦頭引揚記念館があり、自分も歴史を学ぼうと訪ねてきた個人的な備忘録となります。

浦頭引揚記念館は浦頭引揚記念平和公園にあります。記念館も公園も1986年(昭和61年)に開園。

引揚げ者の人々が帰国の最初の一歩を踏んだ地を見下ろせる場所にある。

車で10分ほどの距離にある針尾送信所。 
こちらも無料で見学できるし、色々と学べる事が多いのでおススメです。 訪れる方は昼休みなどもあるようなので営業時間は事前に確認をすすめる。

高台にある浦頭引揚記念館

開館は9時から18時までと長い。 自分は9時前には到着していたので公園の無料駐車場で少し待機。

時間になり女性スッタフが扉を開けてくれました。入館料はありがたい無料。
最初に10ほどの資料映像を見せてくれる。

館内は2016年(平成28年)にリニューアルされてる影響なのか、こじんまりながらも非常に見やすくて綺麗

展示品からは引揚者の方々の過酷だった帰路だけじゃなく、上陸してからの苦悩も強烈に伝わってくる。

引揚げてきた人々は佐世保引揚援護局検疫所でのDDTの散布消毒をへて、今度は引揚援護局本所がある旧針尾海兵団(現在のハウステンボスの場所)まで約7kmの山道を徒歩移動して諸手続きの後数日を過ごす。それから南風崎駅からよやく引揚列車に乗りそれぞれの郷里へ戻れる。

引揚者の方々が当時身に着けていた衣類やカバンなども展示。


終戦直後は一定額以上の通貨や証券類は持ち込みが制限されており、国に預けないといけないようだった。 まさに着のみ着のままでの帰国。

1945年(昭和20)に佐世保引揚援護局が開始し。
 1950年(昭和25)に移転のため閉局となるまでに約140万人が佐世保港(浦頭)に上陸。

検疫のようすなども写真で見る事も出来る。


 引揚者収納能力を拡大してる最中でもコレラ・チフス・天然痘など発生し、何度も混乱するような環境化でも引揚援護局は「引揚げる人々の身になれ、この擁護」を合言葉に不眠不休で最盛期をのりきった。

浦頭引揚記念平和公園の高台にある大きな女神像「平和の像」

浦頭引揚記念資料館から約500メートルほどの場所に引揚第一歩の地があるというので行って見ることに。

今は記念碑がなければ何もわからないほど何もない。 

今では静かな港だけども、奥に見えてる真新しい建物「佐世保クルーズセンター」 2020年完成
国際クルーズの受入れを目的とされたけども、2023年度内までにコロナの影響もあり、まだ1度も利用されたことはないらしい。  再び人で賑わう日はまだ遠いようだ。