歴史の授業で必ず出てくる長崎の「出島」
鎖国時代の象徴でもあり、寛永13(1636)年に完成した面積約15,000平方メートルの人工島
出島の歴史などをこんなブログで語っても仕方ないので省略。
ただ 畳の上でビリヤードをしている姿を小学校の授業で学んだ時にすごく印象的だったので、それだけを理由に本場の地を確かめたくて訪ねてきた個人的な備忘録となります。
路面電車で最寄り停留所まで到着。一番近い門は閉ざされており、表門までとぼとぼ歩く。
今は出島を見下ろすように建物に囲まれており出島に来たような高揚感は一切なかった。
2017年に出島と長崎市本土を結ぶ出島表門橋が新しい姿で復活。
なんでも当時の石垣の負担を軽減するような設計らしい。
鎖国の象徴だった出島も”ようこそ”と歓迎モード
ちなみに出島が扇型の形をしているのは、諸説あるけども、当時の将軍であった徳川家光がこれを見本にしなさいと持っていた扇を見せたことらしい。
入場料を支払い中へ入ると頑張って当時の雰囲気を再現してくれている。
入場してしばらくすると修学旅行生を乗せたバスが10台ぐらい来だし、竹下通りのようになった。
出島内には現存する日本最古のプロテスタント神学校などあり、多くの建物内も見学可能。
かつては「島」だった出島も開国後にはみるみる衰退していき、周辺は埋め立てられていく。
ここでは地中に埋まっていた出島護岸で使われていた石の展示・解説などマニアック
ミニ出島
1820年ごろの出島を再現したと15分の1の模型。
今は出島の四方は海に囲まれていないので、やはり別の場所のようにも感じてしまう。
このミニ出島をちら見だけでも良いのなら、入場料を支払わずとしても普通に歩道からも見える。
出島内では多くの資料や展示物があり、丁寧に見ていくと半日でも足りない量だ。
出島に出入りできる日本人は制限されてる中、遊女の出入りは許されていたらしい。
機能性だけじゃなくアンティークとしても魅力的な当時のガラス製品
そんな中に碁石やサイコロがある和洋折衷スタイルが面白い
畳のうえにソファーや椅子がある生活スタイル。
むかし友達の家に遊びに行くと、部屋の大きさはもっと狭いけども畳の上に学習机やベッドという家は多かったことを思い出した。
ただ さすがに畳の上に大きいテーブルで皆で食事を摂るという光景はない気がする。
ちなみに画像はクリスマスを祝ったとされる「阿蘭陀冬至」を再現。
あまりの人の多さと自分の歴史への無知さで見学も足早になってくる。
それでも個人的に出島で一番見たかった畳の上で興じられるビリヤード。
残念なことに模型でしか再現されてなかった…
出島を訪問したあとは日本三大中華街と言われている長崎新地中華街へ。
自分の地元横浜の中華街と比べると非常にコンパクトな中華街な印象
でも折角だからと、長崎の中華街で食べる長崎ちゃんぽんは値段も張るながらも美味しかった。
1634(寛永11)年に架設されたいう眼鏡橋。
1982年の長崎大水害で一部崩壊するも翌年に修復され、国の重要文化財となり日本三名橋らしい。
その為なのか多くの観光客が映え写真を撮ろうと頑張っている。
眼鏡橋に次いで古い石橋といわれている「袋橋」や日本で最初の鉄製の橋「鐵橋」も魅力あるけども…ただ個人的にはこのような水害対策で造られたような所に一番惹かれた。