有名な観光地でもある端厳寺五大堂とすかし橋。 初めて松島に来たのならば拝観料も掛からないので訪問。
高さは無いので恐怖心は無いけども歩きづらいすかし橋
五大堂への参詣には身も心も乱れのないように脚下をよくみつめるして気を引き締めさせるための配慮と思われる。 と解説にあった。
この2本の板は本来なかったのだろうか? 気になって調べたら、やはり本来は無かったようだ。
比べるもんじゃないけども、ちょっと祖谷のかずら橋を思い出した。
現在の建物は伊達政宗が慶長9年(1604年)に建立したといわれてるらしい。歴史だけでみると807年に建立。
五大堂をよく見ると干支の彫り物が一周するように彫られており、自分の干支を見つけて密かにニヤニヤしてきた。
JR松島海岸駅からゆっくり歩いて10分ぐらいで雄島の案内図が見えてきました
雄島は瑞巌寺の「奥の院」ともいわれる霊場。東西40メートル、南北200メートルの小島
松島公園に入り、案内看板に従い進む。
なんだか急に冒険感溢れる道。
少し広場に出たと思ったら、雄島に渡る前から神秘的な場所。
特に案内なども無く、岩窟の詳細は不明
訪問時期が1月だったこともあり、日陰にはカチコチの残雪が… 気を付けて陽があたる場所を選び歩む。
携帯カメラ&加工無しなので見づらい画像なのが悔しい。
奥には雄島に渡るための渡月橋が見えてきた。 さきほどの「すかし橋」と同じく遠くからでも朱色が美しい
修行僧などが俗世との縁を絶ったことから「別れ橋」ともいわれているそうだ。また悪縁を断つといわれている渡月橋。
歴史ある雄島に比べると橋が綺麗に感じる。 調べてみると東日本大震災により、本来の木製渡月橋は流されてしまい2013年に鉄筋コンクリート製の渡月橋に生まれ変わったそうだ。
ちなみに松島では巡る橋の順番があるらしいけども、自分は知らず内に逆回り…
橋を渡るとあちこちに仏様が壁に彫られていたけど… どうしてこんなにも秘孔のようにお金が張り付けられているのか不思議だった。
戸後期のころ、江戸からの便船が暴風に巻き込まれ、乗り合わせていた白キツネに救われた話をもとに、海難防止の守り神・新右衛門稲荷が祀られているそうだ。
訪問時はまだ工事中だった頼賢の碑(重要文化財)
この雄島から出る事無く22年間住み続けた修行した高僧・頼賢の徳行。
その弟子たちが頼賢の徳行を讃えるために建てた石碑。
22年もの間、一歩も島を出なかったと伝えられており、食事などは弟子たちが運んでいたらしい。
江戸時代の俳人・松尾芭蕉も瑞巌寺に詣でた後、この雄島を訪れ「松島や鶴に身をかれほととぎす」という俳句があるそうです。
ただこれは弟子の曾良によるものだそうだ。
学の無い自分にはさっぱりだけど、霊場のようなこの雄島には句碑も多
雄島のあちこちには掘られた仏像や石塔が安置されている。
かつてはこの雄島には108の岩窟があったといわれるけども、現在確認できるのは50カ所だそうだ。
この松島には多くの観光客が押し寄せているのに、この雄島には自分だけと思うと不思議な気分になる。
島の北側に、少し開けた場所とベンチが用意されており。
最高の景色を楽しみながら休憩。 休憩してる間にも多くの松島観光船が往来
なんだかすごい形の抜け道。 一体どうやって掘ったのだろうか? 手掘りのような感じもしない不思議だ。 なんか↓を思い出した。
JR松島海岸駅周辺のお土産屋さんには人が多かったけども、松島公園あたりには地元らしきの散歩の人。雄島では誰にも会わなかった。
雄島の史跡からは、歴史をヒシヒシと感じる場所なので興味があれば、また違う角度の松島を訪ねる意味でも雄島は訪問をおすすめ。