神奈川県横浜市西区戸部町にある岩亀稲荷。ここは江戸時代横浜のスタジアム周辺にあったという遊郭“港崎遊郭”の妓楼・岩亀楼と関連する場所。 そんな港崎遊郭も大火で焼失し移転。 その後も大火と再移転をしているけども、今も岩亀横町とよばれる一帯が残るというので訪ねてきたという、誰のためにもならない個人的なブログです。
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大通りから一本裏に入った場所の静かな通り岩亀横丁。
目当ての岩亀稲荷も通り沿いにあるのでわかりやすい。 というよりも喫茶店の敷地内にあるので見つけやすい。
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この場所が現在でも岩亀横丁と呼ばれているのは、港崎遊郭の岩亀楼の遊女の寮がこの通り沿いにあったため。
周辺には他にも”岩亀”という名がついた店があった。
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本当に入っていいのか躊躇してしまう岩亀稲荷。
岩亀稲荷の由来は遊女たちが病に倒れた時に静養する寮が現在の岩亀横丁にあり、遊女たちの信仰するお稲荷さんが寮内の敷地にあった。
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しかし もろに民家の敷地… 入りずらい…。
どうせならばと隣接する喫茶店「カルディ」で休憩がてら話しでも伺おうと入店。 コミュ障の自分としては勇気ある行動ですw
店内のカウンターには地元らしき人がタバコを嗜みながらカレーやピラフなどを食べていた。 また棚には多くのお酒が並んでおり、夜はバータイムでもあるのだろうか? 自分は昼食を食べたばっかりだったので軽めにケーキとコーヒーを注文。
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店内が落ち着いた段階でお店の方に岩亀稲荷を目当てに来ましたと告げると、店内奥のテーブル席側からでも参拝出来ると教えてもらう。
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敷地奥にある岩亀稲荷。
その手前が民家玄関にもなっているので撮影も躊躇してしまう… そのタイミングで玄関が開き人が出てきた。 許可は取っているとはいえ何とも気まずい。 家の方も慣れているようだけども、こちらから先にご挨拶。
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稲荷が祀られている岩亀稲荷。
資料などがほとんど残っていないため詳細は不明なことが多いけども、調べていく中で遊妓喜遊など遊女と異国人という時代の変化でおきた悲劇もあったと知る。
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民家敷地にあるため24時間参拝できる訳じゃなく、時間帯によっては通り沿いの扉は閉じられているそうです。