東京都東大和市桜が丘にある戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所
現在の東大和市には軍用機のエンジンを製造する軍事工場(日立航空機立川工場)があった場所に残る変電所。 3度の空襲で工場は壊滅したが変電所は鉄筋コンクリート造であり奇跡的に残る。
令和の今でも生々しい機銃掃射痕が残る旧日立航空機株式会社変電所。
そんな場所を訪ねてきたという、誰のためにもならない個人的な備忘録となります。
玉川上水駅から徒歩圏内
西武拝島線・多摩モノレール「玉川上水駅」から徒歩8分ほどの距離にある旧日立航空機立川工場変電所。
方向音痴の自分は駅反対側に行ったりとマタ迷った。
団地が広がる駅前にある「米軍大和基地の碑」
かつては米軍基地があったことを示す碑。 米軍基地の前の昭和13年・航空機のエンジンを製造する軍需工場が建設される。
かつては軍需工場が集中していた多摩地域。 広々とした公園には子供達が楽しそうに遊んでいる。
そんな公園に静かに佇む戦災建造物 旧日立航空機株式会社変電所
想像よりも遥かに生々しい機銃掃射痕。
長閑な公園にぽつんとあるので、まるで映画のセットのようにも思える。
さらに近づき外壁を見る。 令和の現在でもしっかりとしたコンクリに残る恐ろしい数の弾痕。
機銃掃射の弾痕が残る現役の駅「国道駅」もスゴイと思ったが、弾痕の数だけで考えたら比べるまでもない。
屋外展示されている給水塔の一部。
平成12(2000)年まで使用されていたというのが驚きだ。 その後は一部を残し解体し保存されている。
こちらは空襲があったさい米軍が来た方向を夜間帯に光で示す装置らしい。
ただ訪問時は点灯していないという説明だった。 それは光が幻想的で綺麗に見えてしまい、戦争遺跡に相応しくないという理由で取りやめになったらしい。
公開日時 毎週水曜日・日曜日なら無料で入ることができる。
外観だけなら365日24時間見れるけど、せっかくならば内部も見学したいですよね。
関係者以外立入禁 と掲げられているけど公開日なら堂々と入れる。
1階は主に工場の歴史や空襲についての資料を中心に展示。
外観からでもわかるように大きい建物ではない。
公開されている日なら職員さんが展示解説も行ってくれます。
- 午前10時45分~午前11時30分(45分)
- 午後2時~午後2時45分(45分) ※HP要確認
参加費用は無料で団体じゃなければ予約不要。参加するとまずは視聴覚室で映像を見て学ぶ。
昭和20年2月17日、4月19日・4月24日の3度の空襲では101機のB29が空襲。
工場だけじゃなく、近くの社宅も巻き込まれ壊滅状態。
蓄電室に残る機銃掃射の弾痕
1階にある蓄電室。 ここは非常用電源として使われていた。
鉛蓄電池を使用していたので安全対策として、壁には耐酸性のある塗装が使われ黒くなっているみたい。 ただ詳細は不明なようで解説板には塗装に詳しい人がいたら教えてくれ的な事が書かれていた。 わからんもんは仕方ない
窓のクレセント? かっこよく感じてしまう。
んっ?
完璧に貫通してる… コンクリの建物内にいても安全じゃない。
改めて外壁からも見てみると深さの異なる弾痕。 これは使用された弾の種類が異なったためではないか?という説明があった。
建物の裏側へ移動。
さきほどの正面とは別建物のように被害は少ない。 空襲があった方向がよくわかる
終戦後 日立航空機(株)はGHQにより解散。後継企業により平和産業に転換。
この東洋陶器の洗面台は戦前・戦後も作られていたの物なので創業当時の物なのかは不明らしい。
洗面台の東洋陶器は現在のTOTO製なので、福岡県のTOTOミュージアムに問い合わせをしたと説明されている。
軍事工場での作業の様子(戦後に再現) 使用されている機械は戦時中でもアメリカ製
武蔵野市にあった「中島飛行機武蔵製作所浅川工場」が空襲され壊滅したので、その後の飛行機エンジンを組立てたは浅川地下壕。
外壁だけじゃなく、階段にも残る弾痕
光の加減もあり踏面のガラスが反射して綺麗に見えるけど… 木製の手摺や本来の階段に残る弾痕
階段の裏もご覧の通り。
以前は老朽化で入れなかった2階部分も見学
手前の配電盤には弾痕が残っていると説明があった。
戦時中も稼働していた変電所だけども、平成5年までスレートや編み物機の製造などの平和産業でも稼働していたらしい。
空襲の傷跡が残ったままでも平成5年まで変電所として操業していたと思うとすごい…
翌年 平成6(1994)年に変電所はまるっと市に寄贈され、翌年平成7年には東大和市指定文化財に指定される。
文化財に指定されたあとは何度か保存のための改修工事を経て、今こうして2階部分に上がることができるようになったらしい。※外階段は使用禁止
子供のたちの声がワーワーと聞こえてくる中にある旧日立航空機立川工場変電所。
近所の子供達だと思うけども建物内に入ってきたと思ったらすぐに出て行く。 散歩のルートなっているほど見慣れた建物なんだろうね。
長閑な公園に残る旧日立航空機株式会社変電所。
この光景と子供たちの楽し気な声とのギャップが余計に戦争の恐ろしさを際立ててる
職員さんの説明で印象に残っているのが、旧日立航空機立川工場変電所は空襲の跡が鮮明に残る全国でも珍しい戦争遺跡であることから「西の原爆ドーム 東の変電所」とも呼ばれているらしい。
けど関東に住んでいる人でも知らない人は多そうだ。