静岡県藤枝市にある常昌院。
明治30年頃 当時の住職が住居兼用の本堂では狭くて不便であることから、本堂建立を計画。
当時は日露戦争の勝利で日本がわいており、ならば戦勝記念として戦没者の功績顕彰する英霊殿を兼ねた本堂として建立。この地域から日露戦争に出征して戦死された英霊を供養するために造られた兵隊の木像223体(224体?)が今も祀られており、兵隊寺とも呼ばれているそうです。
そんな兵隊寺こと常昌院を訪ねてきたという個人的な備忘録となります。
県道213号から細い道に入る手前の道案内では、兵隊の姿をした看板が設置されていた。
勝手にお堂に入ってよいのか判断がつかず住職を訪ねたけども、ちょうどご不在のようだった。
困り考えているとお堂の入口に見学可能という書置きがあるの気付き、静かに見学させてもらうことに。
すでに奥には兵隊木像がみえているけども、まずは静かに合掌。
上下2段にて整列している木像。
ネットで見た時と同じ景色だけども、現場では凛とした堂内の雰囲気と、戦争の虚しさを木像たちが必死に伝えてくるようにも感じた。
木像は生前の写真などをもとに明治時代につくられたもので、一体一体の表情や衣装が異なっているそうだ。当時 完成した木像が駅に到着すると遺族たちは国旗を掲げ、出店が出店されるなど盛大なパレードで出迎えたらしい。
他よりも一段高い所に祀られている木像は戦死された静岡歩兵第34連隊の隊長さん。
祀られているのは人だけじゃなく、軍馬の姿もあった。
中には顔が白い兵隊木像のお姿も。
不思議だったけど、帰宅後に色々と調べてみて病気が原因で亡くなった方という情報がネットにあった。
圧倒的に陸軍兵士の姿の木像が多いけども、中にはセーラー服姿の海軍兵士の姿も。
日露戦争は1904年2月から 1905年9月の期間と100年以上前の出来事。 すでに当時を知っている人はいないと思われが、ここには今なお無言で語ってくれる木像が確かに祀られていた。
また 訪問時 若い男性が堂内に1人おり、なんでも大学の卒業論文として色々と調べている最中だった。 色々と調べられたお話も聞かせいただけ貴重な体験となった。
自分もこちらの常昌院の兵隊木像のこと、日露戦争の英霊達のことを1人でも知っていただける役に立てれば幸いだ。