日本には『夜泣き石』と調べると、いくつものスポットで出てくる。
なんか日本昔話しで聞いたことあるような気もするけど、wikiによると…
小夜の中山峠は、旧東海道の金谷宿と日坂宿の間にあり、急峻な坂のつづく難所である。曲亭馬琴の『石言遺響』(文化2年)(1805年)によれば、その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいた。ある日お石がふもとの菊川の里(現・静岡県菊川市菊川)で仕事をして帰る途中、中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ苦しんでいた。そこを通りかかった轟業右衛門という男がしばらく介抱していたのだが、お石が金を持っていることを知ると斬り殺して金を奪い逃げ去った。 その時お石の傷口から子供が生まれた。そばにあった丸石にお石の霊が乗り移って夜毎に泣いたため、里の者はその石を『夜泣き石』と呼んでおそれた。生まれた子は夜泣き石のおかげで近くにある久延寺の和尚に発見され、音八と名付けられて飴で育てられた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)夜泣き石 (小夜の中山)より
前置きが非常に長くなってしまったけども…
そんな今回は 静岡県掛川市にある『夜泣き石』を訪ねてきた個人的な備忘録となります。
国道沿いでアクセスも非常に良い。 訪問したさいも観光客よりも、仕事中に立ち寄り食事をしているドライバーさんが多かった。
静岡に来るとやはり『おでん』が食べたくなるけど、ここは当たりだった。 美味い
※久しぶりのおでん&セルフだったので汁を取り忘れましたw
静岡おでんも気になるけども、こちらの夜泣き石の伝説にちなんで生まれた「子育て飴」 ※店内撮影許可いただきました。
もち米と大麦を原料にした水飴で実にやさしい味。 1本100円と値段もやさしい ※訪問時の価格
京都で食べた幽霊子育飴もシンプル味だったけども、よりやさしいお味に感じた。
店舗横にある階段を上がっていくと、目当ての『夜泣石』が待ち構えている。
棒で「子育て飴」をねりねりしながら、約30メートルほどの石段をちんたら階段をあがっていく。
ネット上では心霊スポット扱いされてることもあるようだけども…なんで?
実に気持ちの良い空間が広がる。
そんな一画で待ち構えていた夜泣き石 (小夜の中山)
自分が苦手な文字オンリーの説明看板。w
安藤広重 東海道五十三次 日坂
道のど真ん中、いかにも邪魔そうある夜泣き石。
触れると祟りがある。と皆が信じて動かそうとしてないのが表現されておりおもろい。
明治14年・有名になった『夜泣き石』を浅草で開催された博覧会で見せ物にしたのですが、前評判が高すぎて「なんだ本物は泣かないのかよ!」と興行は失敗。 焼津まで戻されるも資金が底を尽き雨ざらしの放置。
その後 『小泉屋』のご主人が買い取ることにより、なんとか小夜まで運ばれたようです。
月日は流れ昭和11年・東京銀座松坂屋で開催された静岡物産展に夜泣き石を出展し今回は大好評。石灯篭はそのさいに贈られたようだ。
そんな大好評で終わった物産展の翌年には、夜泣き石の所有権をめぐり久延寺主張し、小泉屋と裁判までなったが久延寺側の敗訴で終わった。 ですよね~
ただ現在でも久延寺には、夜泣き石があるらしい。
それは殺害された妊婦を弔う為に建てられため、近くから似たような石を用意し、供養塔として祀っているとか。
せっかくだから裏側からも見る。
正直 どれが刀傷と言われているのかわからない… 複数ある亀裂すべてが怪しく見える。
あとから知ったけども岩に彫られた文字は薄っすらと見えるようだ。 見逃して悔しい(´;ω;`)ウゥゥ
正直 ただの饅頭岩やんというのが本音だけども、夜泣き石の伝承よりも数奇な運命に巻き込まれる珍な夜泣き石。
「子育飴 小泉屋」さんのおでんと飴はおススメなので、訪ねて欲しい場所。