たまに大阪方面などに行くと、道頓堀のグリコ看板と通天閣は見ないと損した気分になってしまう自分です笑
ただ よくよく考えるとなぜ一企業の広告がここまで有名なのか? そして何故この場所なんだろうか?
そんな事をずっと思っている時に、大阪市西淀川区には完全予約制ながら個人でも無料で見学できるグリコの博物館でもある企業ミュージアム・「江崎記念館」があると知り、訪ねてきた個人的な備忘録となります。
道頓堀周辺には気になるものが多くて目移りしてしまう?
自分も隣のお店で、思わず「くいだおれ太郎」の顔のくつ下を購入。
それで歯医者などに行くとちょい恥ずかしい(*ノωノ)
訪問時は工事中とゆうことだったけども、それでも戎橋では撮影する人でいっぱい。
自分は逃げるように違う場所から撮影
なぜか大阪にくるたびに、ここわれる気がする。
グリコの看板は有名なのに、歴史を知らないので行ってきた。
大阪府大阪市西淀川区歌島には企業ミュージアム・江崎記念館があるので、今回は大阪万博跡地にある太陽の塔訪問と同じぐらい楽しみにしていました。
守衛所らしき場所で声を掛けて、ここで案内をしてくれるスッタフの方を待ちます。
時間になるとスッタフの方が登場して、グリコ栄養食品本社反対側にある江崎記念館へと一緒に案内してくれます
江崎グリコ創業50周年を記念して生まれた記念館・見学は完全予約制
見学は時間毎の完全予約制。
今はわからないけども、自分の時は電話のみでの予約受付でした。
第一希望としていた時間帯はすでにいっぱいだったので、時間をずらしての予約。
見学時間一番最初を狙っていたけどもダメだったので11時ぐらいの枠を予約。予約時間まで近場の珍しい場所を訪ねる事ができたので結果的にはヨシ
見学者はまさかの自分1人
コミュ障の自分ひとりに対してでも、本当に終始丁寧に案内してくれました。
ガイド終了後も見学時間終了まで自由に見学したり、撮影タイムも設けてくれるのはありがたいですね。
「グリコ」の名前はグリコーゲンからきており、佐賀県で薬種業の長男として生まれた創業者の江崎利一は、子どもたちが大好きなお菓子を食べながら、健康を促進できるようなお菓子をつくりたいと考えから出来たらしい。
グリコの商標変遷がおもしろい
大正11年からのマークだけども、翌年には女学生から「顔が怖い」と不評。 そこからデザインが変更になったとか… 確かに顔は怖いし胴長やけど、イケメンにも見えるのは自分だけ?
一粒で三百メートル
1922年大正11年2月に栄養菓子グリコとして販売開始。 この時点で赤い箱だったり、有名な「一粒で三百メートル」というキャッチフレーズも決まっていたというから驚きだ。
時代を先取りする広告
自販機の設置場所は、ライバルが多い東京を中心に100台設置。
それが大当たりし行列ができるほどの人気ぶりだったようだ。
この時点で時代を先取りする広告戦略は長けていたと考えさせられますね
歴代グリコネオンのジオラマ
1935年昭和10年に、創業者の江崎利一が1日20万人が通る大阪の道頓堀に目をつけ、ネオン塔が建設されたところからグリコの看板の歴史は始まったようです。
当時は高さ33mのような型破りな大きさのネオン塔は珍しく、人々の注目を集め、ここから観光地化していったようですね。
戦時中は鉄材提出のために撤去(初代グリコサイン)されたこともあったようだけども、ご存知の通り復活し現在でも形を変えながらも続いてます。
現在のグリコサインは6代目となるようですが、自分が気になったのは1963年から1972年に登場した3代目ネオン。
高さは18メートルながらも、12トンもの水が噴き出る仕組みがある噴水ネオン塔。 裏話としてネオン塔の南側にある消防署の拡張計画との話も面白かった。
今では「大阪市都景観資源」にもなっており、創業者の江崎利一の目の付け所がすごい
グリコといえばオマケのおもちゃ
子どもにとって、食べることと遊ぶことは二大天職という創業者の江崎利一の考えから、発売初期は絵カードだったヒントから豆玩具をグリコに同梱することがはじまったようです。
大阪市にある造幣局に発注していたとは驚きだ
ここには創業時からの豆玩具(おもちゃ)として約4.000点が展示されているようです。 これだけでも見学時間が足りなくなってしまうほどのボリューム
いや~かなりの満足溢れる見学でした。
道頓堀でグリコのサインを見ていて、なんでここにグリコなんだろう?
という気持ちから今回の見学になったけども、グリコ創業者の江崎利一の熱い気持ちが伝わってくる気持ちの良い企業ミュージアム・「江崎記念館」
今後 道頓堀のグリコサインを見る度に、今回訪問した事を密かに誇らしく思えるような気がする