1877年(明治10年)の西郷隆盛率いる薩摩を中心とした士族が起こした国最大で最後の内乱でもある西南戦争。
ここで西郷隆盛&西南戦争の事を詳しく記載しても、自分の誤った知識を露呈するだけなので控えたい思います 笑
熊本に訪れたら定番である熊本城の観光と熊本城から北に約16キロほど離れた場所に位置する田原坂には訪れたいと思っていました。
田原坂は一日で銃弾が両軍合わせて30万発以上も飛び交い、白兵戦が行われたという西南戦争の中でも一番の激戦地区。 そんな場所をに行ったら自分は何を思うのだろうか…とずっと気になっていたので、実際に訪ねてきた個人的な備忘録となります。
![田原坂公園の広い無料の駐車場
8時00分~19時00分となっており、時間外は施錠されるようだ。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-1-800x450.jpg)
8時00分~19時00分となっており、時間外は施錠されるようだ。
![田原坂公園にはトイレも完備されており快適で、かつてここで激戦が行われと思えないほど長閑な場所だ。
目的地の田原坂西南戦争資料館はすぐそこ。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-28-800x450.jpg)
目的地の田原坂西南戦争資料館はすぐそこ。
![田原坂の戦い。左が官軍(警視抜刀隊)、右が西郷軍(「鹿児島新畫之内 熊本縣田原坂撃戦之図」画、明治10年4月)](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/Battle_of_Tabaruzaka_Nishiki-e-800x394.jpg)
田原坂の戦い。左が官軍(警視抜刀隊)、右が西郷軍(「鹿児島新畫之内 熊本縣田原坂撃戦之図」画、明治10年4月)
![駐車場の片隅の見えずらい所にあった無人販売 なんとイチゴが1パック100円と激安](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-27-800x450.jpg)
地元らしき人も多く見かけ、皆たくさん買っていった。 自分もお金をちゃんと支払うところを防犯カメラにアピールしながら購入。 どうもこうゆう無人販売だと万引き犯と間違えられないかと心配になってしまう。
![資料館の近くにあったモニュメント。壁を見ると弾丸だらけの白の土倉](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-2-800x450.jpg)
![田原坂は日本赤十字社の前身博愛社が生まれた場所でもあるそうだ。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-3-800x450.jpg)
![両軍合わせて30万発以上相当数の弾丸が飛び交ったようで、そこら辺を掘ると弾丸が出てくると聞いた事がある。
同時に弾丸発掘を目当てに訪れる人が跡を絶たなく、悪質だと無断で敷地に入ってくる人もいるとか](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-4-800x450.jpg)
同時に弾丸発掘を目当てに訪れる人が跡を絶たなく、悪質だと無断で敷地に入ってくる人もいるとか
![この「弾丸の家」も当時のものではなく、写真を元につくられたモニュメント。
それでも弾丸跡の迫力は充分に伝わってくる](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-20-800x450.jpg)
それでも弾丸跡の迫力は充分に伝わってくる
![残念ながら訪問した時は、「弾丸の家」は感染予防のため見学出来なかった…仕方ない。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-21-800x450.jpg)
![知識が無い自分でもわかりやすい解説をしてくれた熊本市田原坂西南戦争資料館
2015年に新装オープンしたようで館内は綺麗で見学しやすかった。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-22-800x450.jpg)
2015年に新装オープンしたようで館内は綺麗で見学しやすかった。
![最初にアプローチ展示室・幕末から西南戦争に至るまでの出来事を紹介してくれる。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-5-800x450.jpg)
![優遇されてい武士の制度が明治初期になると一気に廃止され、武士の不満は当然ながら高まり爆発](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-6-800x450.jpg)
![西郷隆盛も無謀と初めから理解していたけども、薩摩藩士の為に立ち上がり率いる。
圧倒的に人数では有利ながらも鉄壁すぎた熊本城、軍をわけて北上するも田原坂も突破できず。 ※画像は熊本城](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-29-800x450.jpg)
圧倒的に人数では有利ながらも鉄壁すぎた熊本城、軍をわけて北上するも田原坂も突破できず。 ※画像は熊本城
![個人的には田原坂西南戦争資料館の目玉だと思う体感展示室](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-7-800x450.jpg)
田原坂での戦場をイメージ再現したジオラマと映像を見る事が出来る。
田原坂といえば雨のイメージが強く、17日間にも及ぶ田原坂の戦いのうち7日間は雨・霙だったらしく、雨での戦い映像は迫力と虚しさを感じた。
![映像を見た後に検証展示室](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-8-800x450.jpg)
![当時の官軍・薩摩軍お互いの装備品などがわかりやすく展示されている。
携帯食なども興味深かったけども、やはり勝敗に大きく左右した銃の違いが着目点になると思う。
薩摩軍のエンフィールド銃](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-9-800x450.jpg)
携帯食なども興味深かったけども、やはり勝敗に大きく左右した銃の違いが着目点になると思う。
薩摩軍のエンフィールド銃
![官軍は定められた軍服を着用](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-10-800x450.jpg)
![官軍が持っている銃は当時の最新式スナイドル銃](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-13-800x450.jpg)
![銃の性能差は明白で、官軍のスナイドル銃は薩摩軍のエンフィールド銃に比べ、弾の込め方が違う事に生じる装填速度が速く。そして雨天でも構わず使用できることの優位性は圧倒だったらしい。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-11-800x450.jpg)
![弾丸出土の切り取り](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-14-800x450.jpg)
![1日に30万発以上の弾丸を消費し続けると、薩摩軍は弾丸が尽きてくる。
農民に落ちてる弾丸を拾わせ買取りして再利用するなどして応戦し続けたそうだ。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-12-800x450.jpg)
農民に落ちてる弾丸を拾わせ買取りして再利用するなどして応戦し続けたそうだ。
![実際に弾丸を手に持ってみると、見た目以上にずしりと重みがある。※許可は頂いてます](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-18-800x450.jpg)
一日30万発以上もの弾雨が降り注ぎ、弾丸が空中で激突した弾「かち合い弾」なる物が有名だけども、施設の方に伺ったらここには展示はしていないとゆうことだった。昔は展示していたという情報もネットにあったけども…
後日ネットで調べたら有名になった「かち合い弾」を販売するために、わざとかち合い弾を作成している人もいたとかいないとか…。 ※これが展示が無いとの関係性は未確認で不明です。
![館内の一部は無料開放されているので、さきほどの「弾丸の家」と一緒に見学も可能です。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-15-800x450.jpg)
![こちらでも当時の銃撃戦の遺構を見る事ができます。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-16-800x450.jpg)
![一般住宅の柱に弾痕: 平成28年4月の熊本地震の被害で取り壊されることになったけども、西南戦争からずっと住宅に残っていたのはすごい。 実際に住まわれていたのでしょうか? 調べてもわからなかった…](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-17-800x450.jpg)
![外に出ると熊本城同様に戦略的な防衛目的でつくられた道が見える。 西南戦争のはるか前に考えた加藤清正は優秀すぎる…](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-25-800x450.jpg)
![田原坂も一の坂・二の坂・三の坂で約1.5キロ、標高差60mの道。
※画像は田原坂より手前だと思われます。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-26-800x450.jpg)
※画像は田原坂より手前だと思われます。
田原坂は道がうねっており先が見通せないうえに、左右も茂みの高台なっており昼でも暗く感じる。 北からの進軍をしていた官軍には大変で、防衛の薩摩軍には有利。
![戦没者の慰霊碑: 近づくと官軍と薩摩軍の戦死者が記載されており。
掲げられている人数だけを見るとおおよそ半分。](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-23-800x450.jpg)
掲げられている人数だけを見るとおおよそ半分。
いくら最新の銃を持っているとはいえ徴兵制度の兵と、古い銃ながらも刀の扱い特化している士族。
戦いは拮抗しつつも、最後は物量と官軍の元士族である警察官の投入が決め手となったようだ。
![美少年像](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-24-800x450.jpg)
「田原坂(豪傑節)」
雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ アラ田原坂
右手(めて)に血刀左手(ゆんで)に手綱、馬上豊かな アラ美少年
春は桜秋ならもみじ、夢も田原の アラ草枕
草を褥に夢やいずこ、肥薩の天地 アラ秋さびし
![](https://akikaeru.xyz/wp-content/uploads/2022/12/tabaruzaka-19-800x450.jpg)
実際に田原坂を訪ねてから熊本城にも行きましたが、歴史の一部ながら垣間見る事ができました。
雨が降り続け、劣悪な環境化で戦場は銃弾が飛び交うだけじゃなく、刀と刀が激しくぶつかり、親兄弟親族同士が二つに分かれて戦うという戦いがあった西南戦争。 今の平和がいかに尊いのかを教えてくれる。
にしても歴史的な場所を動画で検索すると、必ず上位に心霊スポットとして出てくるのが個人的には少し寂しくなる…
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