1877年(明治10年)の西郷隆盛率いる薩摩を中心とした士族が起こした国最大で最後の内乱でもある西南戦争。
ここで西郷隆盛&西南戦争の事を詳しく記載しても、自分の誤った知識を露呈するだけなので控えたい思います 笑
熊本に訪れたら定番である熊本城の観光と熊本城から北に約16キロほど離れた場所に位置する田原坂には訪れたいと思っていました。
田原坂は一日で銃弾が両軍合わせて30万発以上も飛び交い、白兵戦が行われたという西南戦争の中でも一番の激戦地区。 そんな場所をに行ったら自分は何を思うのだろうか…とずっと気になっていたので、実際に訪ねてきた個人的な備忘録となります。
地元らしき人も多く見かけ、皆たくさん買っていった。 自分もお金をちゃんと支払うところを防犯カメラにアピールしながら購入。 どうもこうゆう無人販売だと万引き犯と間違えられないかと心配になってしまう。
田原坂での戦場をイメージ再現したジオラマと映像を見る事が出来る。
田原坂といえば雨のイメージが強く、17日間にも及ぶ田原坂の戦いのうち7日間は雨・霙だったらしく、雨での戦い映像は迫力と虚しさを感じた。
一日30万発以上もの弾雨が降り注ぎ、弾丸が空中で激突した弾「かち合い弾」なる物が有名だけども、施設の方に伺ったらここには展示はしていないとゆうことだった。昔は展示していたという情報もネットにあったけども…
後日ネットで調べたら有名になった「かち合い弾」を販売するために、わざとかち合い弾を作成している人もいたとかいないとか…。 ※これが展示が無いとの関係性は未確認で不明です。
田原坂は道がうねっており先が見通せないうえに、左右も茂みの高台なっており昼でも暗く感じる。 北からの進軍をしていた官軍には大変で、防衛の薩摩軍には有利。
いくら最新の銃を持っているとはいえ徴兵制度の兵と、古い銃ながらも刀の扱い特化している士族。
戦いは拮抗しつつも、最後は物量と官軍の元士族である警察官の投入が決め手となったようだ。
「田原坂(豪傑節)」
雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ アラ田原坂
右手(めて)に血刀左手(ゆんで)に手綱、馬上豊かな アラ美少年
春は桜秋ならもみじ、夢も田原の アラ草枕
草を褥に夢やいずこ、肥薩の天地 アラ秋さびし
実際に田原坂を訪ねてから熊本城にも行きましたが、歴史の一部ながら垣間見る事ができました。
雨が降り続け、劣悪な環境化で戦場は銃弾が飛び交うだけじゃなく、刀と刀が激しくぶつかり、親兄弟親族同士が二つに分かれて戦うという戦いがあった西南戦争。 今の平和がいかに尊いのかを教えてくれる。
にしても歴史的な場所を動画で検索すると、必ず上位に心霊スポットとして出てくるのが個人的には少し寂しくなる…