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神奈川 こんな所に戦争遺構が!野島の掩体壕と展望台まで散歩

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神奈川県横浜市金沢区にある「旧伊藤博文金沢別邸」を訪れたさいに、

ここまで来たのだから他に何か変わった場所でも無いかなとGoogleマップを見ると… ありました!

 しかも同じ野島公園内に「野島掩体壕」とゆう、太平洋戦争中に戦闘機を格納するために建設されたトンネルがあるようです。

なので「野島掩体壕」周辺を見学&散歩してきた個人的な備忘録となっております。

海は近いけども…海藻がたっぷり。

海は近いけども…海藻がたっぷり。
旧伊藤博文金沢別邸」の見学後、更に奥に進んでいくと… 小規模ながら砂浜も広がっており、平日ながら海水浴を楽しんでいる人もいた。  ちゃんとしたトイレなども完備されておりシーズンは人で賑わいそうだ。

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中には入れない「野島の掩体壕」

そんな野島海岸の反対側に目をやると頂き部分が見えないくらいの野島山が高くそびえる。

そんな野島海岸の反対側に目をやると頂き部分が見えないくらいの『野島山』が高くそびえる。
 標高は約55メートルらしいけども、見上げるとそれ以上にあるように感じてしまう。

旧伊藤博文金沢別邸から、ちんたら歩いて6分ぐらいで姿を現してくれた『野島の掩体壕』
旧伊藤博文金沢別邸から、ちんたら歩いて6分ぐらいで姿を現してくれた『野島の掩体壕』

突如現れる野島の掩体壕

解説版と工事中の写真なども添えられている。

太平洋戦争末期に旧横須賀海軍航空隊基地の戦闘機を守る為に建設された地下格納庫。
  海軍の小型機約100機を同時に建設されていた掩体壕と野島の掩体壕で格納する計画だった。


トンネルの長さは約260メートルで野島山の東西をトンネル状に貫通しており、両側に出口が設けられているそうだ。戦争末期に掘削工事が進められたが、終戦で実際に使用されることはなかったという。

国内に現存する掩体壕の中でも最大規模と言われ、歴史を今に伝える希少な横浜の戦争遺跡。

国内に現存する掩体壕の中でも最大規模と言われ、歴史を今に伝える希少な横浜の戦争遺跡。

  ※反対側も見れるようだけども、同様にフェンスに覆われているそうです。

端部はコンクリートで補強されているが、中央部は素掘りのままで崩落の可能性もあるので立入禁止。

  何か勿体ないね
  何か勿体ないね

野島稲荷神社

野島の掩体壕の見学を終えた。 見学といっても解説版をじっくり読んでも5分もかからず何か消化不良。 せっかくだからと野島山を回って見る事にした。

すると神社を発見! 野島稲荷神社というそうだ。
すると神社を発見! 野島稲荷神社というそうだ。

安貞元年(1227)に創建したと伝えられており、歴史ある野島稲荷神社社殿
野島稲荷神社社殿
境内社大神宮・天神社
境内社大神宮・天神社
上を眺めると… まだ上がありそうだ。
上を眺めると… まだ上がありそうだ。
 なんだ!? と思ったけども、野島に暮らす住民たちが使用する、いざという時の高台への避難場所なのだろうか

神社近くには要塞のような階段&スロープを発見。

 なんだ!? と思ったけども、野島に暮らす住民たちが使用する、いざという時の高台への避難場所なのだろうか

200段近くある階段を黙々とのぼる
200段近くある階段を黙々とのぼる
聖火台のような展望台

階段をのぼり、少し進んだ先にある「野島公園展望台」  ってまだ階段登るの(;’∀’)

 展望台下のベンチにおじさんがラジオを掛けながら、横になって爆睡してた。ちょいビビりながら静かに階段をのぼる

海の公園や八景島を一望
海の公園や八景島を一望
日産自動車 追浜工場も見える
日産自動車 追浜工場も一部見える

展望台に到着した瞬間に、階段降りて帰るのがめんどくさいという気持ちになった 笑

  と駄々を捏ねたところで帰れないので、2分ぐらいで展望台を後にする。
帰り道は階段じゃなく、坂道があったので、そちらを下りながら野島公園駅を目指す。

神社近くの掲示板。

地元民の遊び心なのか、ただの悪戯なのか… ちょっと心がほっこりした。