野口英世といえば黄熱病や梅毒の研究で知られ、身近なお札・千円札にもなるほどの超有名人。
そんな野口英世がわずか5カ月ばかりと短いながらも、横濱海港検疫所で海港検疫医官補として働き、検疫所初となるペスト患者を発見・隔離し、その功績がのちに清国に派遣され、アメリカに渡ることになったという場所。
そんな場所が平成9年から一般公開されており、しかも無料ということなので訪問してきた個人的な備忘録となります。
駅から徒歩でもいける
シーサイドライン「幸浦駅」からとぼとぼ歩いて約15分ほど。
京浜急行「能見台駅」からも歩けるそうだ。 ちなみに近くまでバスも出ているようだけど本数は少ないので、電車か近くの公園まで車で来るのが良いと思う。
訪問日は良い天気を通り超してあつい・暑い・熱い!
途中にコンビニなども無いので水分補給などの準備はマスト
目的地の旧細菌検査室に到着。
思ったよりもこじんまりとした印象。
建物は関東大震災で倒壊し、翌年に復旧。 昭和27年横浜検疫所の新庁舎が別に建てられ、使用頻度が下がり 昭和56年に保存活動がスタートし、平成8~9年に建物を改修。
ちなみに野口英世が勤務したのは、明治32年5月から9月までの5カ月間
裏には旧横浜検疫所(措置場)の施設の一部が残っており、モニュメントとして保存されていた。
入り口前には解説版。
じっくりと読みたいところだけども… 訪問日は猛暑日で暑くて暑くて。なので画像で保存して、あとでじっくりと読むことにした。
見学料金は無料。 訪問した時には誰もおらず貸し切り状態。ラッキーと思ったけども…
内部は空調はなく、窓は閉めており、扇風機などもない。 本当に蒸し風呂状態…
自分はダーク系のTシャツを着ていたけども、見学後には自分の汗で白くなっていたよ…
いよいよ内部を見学! 入口では野口英世がお出迎え
さあ いよいよ見学開始です。
野口英世ゆかりの研究施設として日本に現存する唯一の建物らしいです。
.第二次世界大戦中の1940年頃、ドイツより潜水艦で運ばれたという、当時は大変貴重な顕微鏡。 中でも写真を撮れるこの装置は珍しかったようだ。
動物実験室
なんだか生々しい響き…
当時 コレラ菌やペスト菌の市販品の血清はなく、自家兎血清をつくるため兎の飼育をしていた場所。 またペスト菌研究のためにモルモットも飼育されていた場所のようだ。
想像していたよりも展示品の数が多い。 これで無料とは嬉しい
にしても野口英世が横浜で5カ月ばかりと短いながらも勤務していたなんて、横浜市民の自分でも知らなかった。 子供の時に読んだ偉人伝の人とちょっとばかり距離が近くなった気がする。
野口英世に関するパネル
ここは基本無人だけども、人感センサーによって照明が点き、音声ガイダンスが繰り返し流れる。
年表だけじゃなく、展示品の数も多い
正直 見てもよくわからないけども、歴史は感じる。
当時 冷蔵庫など無いので医薬品を少しでも温度の低い地下に保管していたらしい
当時の様子を伝えてくれる写真がたまらない。
ここは中に入る事が出来ない。
昭和22年以降の氷冷冷蔵庫・科学天秤・孵卵器・乾熱滅菌機などなど 聞きなれない器具などの展示。
この旧細菌検査室を訪問した頃、自分は電気工事士の資格勉強をしていたので、このコンセントみたいのが妙に気になった 笑
にしても穴が2つあるのがコンセントだとして、その上の小さいハンドルみたいのが付いた物はなんだろう?
隣には長浜ホール こちらも見学出来る
「細菌検査室」の隣には関東大震災によって倒壊、翌年再建されたという長浜ホールがあります。
当時の旧常務棟を外観、白壁と緑の窓枠が復元された洋館。
今はコミュニティ センター(音楽ホール)としても活用されているようで、自分が訪問した時もホールの予約状況を確認で訪ねている人がいた。
ホールに付設された野口英世博士ゆかりの旧細菌検査室は自由に見学できる。クーラーも効いており最高!
野口英世さんの身長は153センチらしい、彼の身長は特に気にした事なんてなかったけども…小柄なんですね。
館内には野口英世に関する書籍も自由に閲覧する事もできる。
この書籍の中には、小説に出てくる似た名前のクズ医大生の影響で野口清作から野口英世に改名したことや、お酒、女遊び、ギャンブルで何度も援助金を遊びで使い切ってしまったこと、日本人の婚約者を無視していたなどなど… そんな事を記載した本はあるのだろうかと疑問に思った 笑
人間味という言葉でおさまらない一面もある野口英世。
1886年の種痘済みの証明書
種痘とは天然痘ワクチンのことらしい。 今でこそ新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)の影響でワクチン接種というものが身近に感じるね。
いつの時代も何らかの形で人類は未知のウイルスなどと関わっているから、日々研究している人には感謝です。