当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています。
都道府県別B級珍スポ

長野 勝率9割6分2厘大相撲史上最強力士の力士!?雷電為右衛門の生家へ行ってみた。道の駅も

当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
都道府県別B級珍スポ

相撲に詳しくない自分でも聞いた事がある、江戸時代後期に活躍した大相撲史上未曾有の最強力士と言われている雷電為右衛門。 最近だと某マンガでも登場してくるほど知る人ぞ知る力士。 その生涯通算254勝10敗で勝率.962というありえない数字です。 正直 空想上の人物かと思っていたけども(無知すぎる自分)

長野県東御市には雷電為右衛門に縁ある場所が多いと聞いたので訪れてきた個人的な備忘録となります。

雷電生家へ行ってみた

まわりを畑に囲まれ雰囲気も長閑な場所に雷電生家はありました。
 日曜日の午後に訪問だけども、他の訪問者はいなそう。

雷電生家は信州そば処 ふるさとの草笛から、車なら5~6分ほどの近い場所にあります。
  ついさっき為右衛門そばを頂いたばかりなので、すでに雷電為右衛門が少し身近に感じるw

車を停める場所があるか不安だったけども、Googleストリービューで確認すると画像が少し前のままだったようで、現在は車5台ぐらいが停めれる場所がつくられていた。

無双力士雷電為右衛門とインパクト大の案内看板を読むよりも、先に顔出しパネルで撮影したくなる。

あらためて紹介

雷電 爲右エ門、1767年(明和4年)1月 – 1825年(文政8年)4月9日(旧暦2月21日))は、信濃国小県郡大石村出身の元大相撲力士。本名は関 太郎吉。いわゆる「信州雷電」。 現役生活21年、江戸本場所在籍36場所で、通算黒星が10個、勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士とされている。なお、本文中の日付は全て旧暦である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地元ならでは他にも雷電資料館がある道の駅雷電くるみの里や雷電の碑・雷電の墓なども近くにある(雷電の墓は千葉県や島根県などにもあり) 


 道の駅はトイレ休憩も兼ねて寄って来たので後半に掲載します。

雷電生家出入り口前には雷電の鋤石 これで田畑の行き帰りに鋤の先につるして肩・腰・足を鍛えたらしい

扉が閉まっているので休館日かと思ったけども、自分で扉をあけて入ってよいらしく、見学後は戸締りをするようにと記載されてた。

ここは雷電生家と呼ばれているけども雷電が出世した大関時代に再建した家で、さらには昭和59年(1984)老朽化のため関係者の協力で、現在は復元された生家となっているそうです。

雷電生家におじゃましまーす

扉を開ければすぐに土俵。 さすが力士の生家、帰宅して1秒で相撲できる。


色々と見学していきたい反面、 ここは無人のようなので本当に見学していいのか? 実は誰か見学しているのでは? と周りに気配は無いかと無駄にビビリながら見学スタート 笑
 ちなみに入館料は無料となっています。

身長197センチ、体重は169キロ、左利き?  当時の平均身長が157センチと考えると大きいし、今でも充分に大きい。 今の平均身長が約171センチだから211センチぐらいのインパクトだろうか!?  やっぱりデカい。

ちなみにかつての力士 把瑠都が身長、体重が同じぐらいあったらしいけど、当時では別格だよね

靴を脱いで部屋内も見学させてもらいます。

心技体という文字が似合いすぎる雷電生家。 なぜだか背筋がのびる

右側の力士は雷電為衛門だろうけども…左側の女性は誰だろう?
 甘酒茶屋おはん とだけある。 

あとで調べてわかった。 この女性こそ雷電為衛門の妻。 千葉県佐倉市臼井宿の街道沿い上宿の甘酒茶屋「天狗」の看板娘だったおはん

御嶽海、大関昇進へ

長野出身は雷電為衛門以来の227年ぶりという事で地元紙も大盛り上がり。227年振りってすごいよね

最初は気づかなかったけども、階段があり2階にあがれるようだ。
  にしても この階段が昔ながらの造りなので角度が本当にエグイほど急。 自分は這いつくばって登り降りした。 誰もいないし安全第一スタイル

手摺はあるけども、手摺そのものは低いので少し怖いし

2階には桟敷席も設けられており、1階土間の相撲ぶりが観覧できる。

かつてはどんな練習が行われ、その光景は2階からどのように見えたのだろうか?

雷電に関するお土産も多数並ぶ、道の駅・雷電くるみの里

雷電生家から車で約3分ほど移動して道の駅 雷電くるみの里

日曜日ということもあり広い駐車場でも空きスペースを見つけるのが苦戦するほどの賑わい。

通算成績が254勝10敗2分!

強すぎる雷電には禁じられた手が三つあったらしく。「張り手」「かんぬき」「突っ張り」である。これを使えば必ず相手に怪我をさせるからというので封じられた。(真偽は不明)

そんな激強の雷電為右衛門はなぜ横綱じゃないのか? 疑問に思いしらべてみたところ諸説あるけども、当時は大関が最高位だったとか、本人が辞退したなど結局は不明だった。

楽しみにしていた雷電資料館はコロナ禍なので見学出来なかった… 普段なら9-18時・入館料無料で見学させてもらえるらしいのに残念だ。 また信州そば処 ふるさとの草笛にも行きたいし、再訪することを楽しみにしよう。

そしてここにも顔出しパネル!  

って顔出せるのはお姫様抱っこされる、おはん側なのね 笑