青森駅から徒歩圏内の所にある青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸。 宿泊していた青森駅近くのホテルからもその黄色い船体が見えており気になっていたので行ってみました。※時間の都合により船内見学は無し
またその近くには、津軽海峡冬景色の歌謡碑 があるというので見てきた備忘録です。
列車と連絡船を繋ぐ鐡道施設
天気も良いので青森ベイブリッジを見上げながら、遊歩道である青森ラブリッジで八甲田丸を目指す。
JR青森駅から八甲田丸へは徒歩5分と案内されているので青森駅と港の位置関係も近いことがわかる
青函連絡船戦災の碑
神奈川県に住む自分は、青森で戦災については何も知らず、ここで初めて知り驚いた。
青函連絡船は、青函トンネルの完成により廃止されましたが、 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)7月14日、米海軍艦載機の攻撃により、物流の大動脈であった青函連絡船「翔鳳丸」「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、8月10日には「亜庭丸」が青森湾で撃沈され、131名の犠牲者を出しました。この中に、函館船員養成所大沼分所の生徒14名(当時14、5歳)がおり、悲しみを一層大きくしました。
また、7月14・15日に津軽海峡と函館湾でも攻撃を受け、青函連絡船は全滅をし、乗員乗客424名の尊い人命が失われました。今も、津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が、この航路に殉じた人々と共に、永久の眠りについています。
一部略していますが、このように碑に記されておりました。 写真一枚からでも衝撃を受けます。
船舶への鉄道車両搭載のため可動橋
保存されている可動橋を支える主塔の部分が目立つ。
その奥には今もある青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の姿。
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸は見学可能です。自分はこのあと津軽海峡を渡る船の時間が迫っていたので断念…。 でも函館にある同じく青函連絡船の『摩周丸』には訪れる事が出来ました。
3線分のレールが残っており、青森駅からそのまま青函連絡船に貨車を次々と積み込んでいたらしい。
海面変化で揺れる船に貨車を積み込むため、工夫されたのがこの可動橋らしい。
積み込んでいたのは貨車だけじゃなく大勢の人も乗船。
ホーム北端には、旧青函連絡船乗り換え用連絡橋が残っている。
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
船内見学すると船内での貨車の様子やマネキン人形による連絡船が活躍していた当時を再現しているらしく、実に面白そう… ちゃんと見たかった。
青函連絡船空襲
青函連絡船空襲
昭和20年(1945年)7月14日と15日、青函連絡船は米軍艦載機による集中的な攻撃を受け、大半が沈没、残った船も大きな損傷を受けた。
青森大空襲
青森市は、昭和20年(1945年)7月28日夜、B29爆撃機61機の空襲を受け一瞬にして焼き尽くされ、公式記録では、死者731名、重傷者40名、行方不明者8名、焼失家屋15,125戸、罹災者70,166名と北日本最大の被害を受けた
津軽海峡冬景色歌謡碑
実に有名な歌である。 自分は高校時代の行事で、同級生が移動中のバス車内でクラス生徒全員の前で堂々とこの曲を歌っておりスゲーというのが思い出。 ちなみに遠足先は神奈川県・鎌倉
こちらの歌碑 センサーが備えられており、歌碑に近づくと自動的に曲が流れます。
歌詞を見ながら、この場所で津軽海峡冬景色を聞くと、色々と想像出来るので歌の渋みが実に伝わってきますが…
なんせ大音量です。 ちょっと恥ずかしい