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都道府県別B級珍スポ

沖縄 450mにも及ぶ司令部壕。見て肌で感じる過酷で悲惨な戦争 旧海軍司令部壕

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沖縄県豊見城市には、沖縄戦のさいに旧日本海軍(山根部隊)によって掘られた指令部壕が残っており、その指令部壕を見学出来るというので行ってきました。 正直 実際に行くまでは何だか怖いイメージもありましたが、平和の尊さを再確認する意味でも行ってきた備忘録になります。

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旧海軍司令部壕は小高い丘にある。

タクシーで訪問

旧海軍司令部壕は駅からも距離があったのでタクシーを利用して訪問。
 ぐんぐん坂をのぼり、ようやく到着。

今の那覇空港がある場所には、重要な軍事拠点の小禄飛行場があり、それを守るために74メートル標高のある丘に作られたらしい。那覇空港からは車で約15分ほどの距離

壕入口

訪問した時、他に見学者もほとんどおらず寂しい雰囲気。

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壕内で発見された物も展示されてる

資料館内部

入場料を支払い、最初に資料館があるので、そこで沖縄戦主要事項なども学べるほか、この指令壕で見つかった物も展示されてます。

銃と槍

 日本軍の銃と槍。 終盤になると重火器はほぼ残っておらず歩兵による突撃で応戦したらしい。
 家族に宛てた手紙も展示されており、胸が苦しくなる。

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いよいよ指令壕内部を見学

壕入口

資料館での見学もおえ、次はいよいよ壕入口へ…
 否応なしに緊張してくるけども、警備のおじさんが明るく挨拶してくれて少し元気出た。

先ほどの場所から階段を下ると少し広くなっており…ここからが本当の司令部壕入口のようだ。

自然の光

 まだ壕の入り口に立っているだけなのに、息苦しさすら感じてしまう。上を見上げると自然の光が取り入れられており、ありがたく感じる。

壕入口階段

さあ いよいよ内部へ続く階段を下ります。 105段30mほどの階段を下っていくけど、なんだか湿気ぽい空気。
 この階段は当時のものではありません。

壕内出口

階段を降りると、すぐに出口の案内のように見えるけど… 実際のルートはここを右側へ。

壕内部地図

司令部壕内部の地図。 壕は450mあるけども見学可能なのは300m。
戦後の1970年に司令部室を中心とした300mを復元。 それ以前は入口は崩壊し坑内には泥水が溜まっているし、1500名以上もの遺骨が収集されたらしいです。

壁には手掘りのあと

壁を見ると手掘りあとが見られる。どんな気持ちで掘っていたのだろうか…

つる

展示されていたツルハシ、一般的なツルハシの大きさを知らないけども、その大きさに驚いた。

幕僚室

壁はカマボコ型に掘られ、防護のため漆喰で塗り固められているけど…無数の点は?

手榴弾による自決あと

この手榴弾のあとが生々しく、この場所でと考えてしまうとぞっとします。

医療室?

医療室だと思われている場所。 

とゆうのも当時の書類などは一切残っておらず、当時を知る生存者達のこの場所に病気、怪我をしている人が集中していたという証言から医療室だと推測されてるらしい。

下士官兵員室

下士官兵員室。 もともと広くない場所なのに…
 この指令部壕には約4.000人余りの兵士が収容されていたらしい。

立ったまま寝る

劣悪の環境下に加え、睡眠すら横になって寝る事が出来ないなんて…

旧海軍司令部の司令官 大田實少将

旧海軍司令部の司令官 大田實少将

壁面には大田司令官の辞世の句『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』を残し、ここで自決。

出撃場所

ここから攻撃に出たらしい。 手にはほとんど弾の残ってない銃や刀、槍で… 

米軍との圧倒的な火力の差。出撃してもほとんどの兵士が戻る事がなかったらしい…

外の空気がなんて素晴らしいだ!と再確認

出口

 一通りの見学を終え外へ。たった数十分しかいなかったけども、外の空気が美味しく感じる。

当時の兵士たちも戦闘がやんで、壕の外で新鮮な空気を吸う一時が、「生きている」ということを一番に実感したそうです。

出口にはお土産屋さんもスタンバイ、裏手にはレンタルの電動自転車もありました。
 にしてもシーサーが支えるベンチがかわいい

実際の指令部壕を見学出来るのは正直怖くも感じましたが、やはり「平和」について、改めて深く理解する必要性のある場所。 
沖縄の観光として、ここは来ない人は来ないかもしれないけども… 一度は訪れて、平和を考えるきっかけにして欲しい場所。