当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています。
都道府県別B級珍スポ

宮崎  かつては基地だった宮崎空港。今も空港近くに残る宮崎特攻基地慰霊碑

当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
都道府県別B級珍スポ

宮崎県宮崎市赤江にある宮崎空港(宮崎ブーゲンビリア空港)

宮崎県の表玄関となっている宮崎空港だけども、1943年に日本海軍の飛行基地:海軍航空宮崎基地(通称 赤江飛行場)として建設されのがはじまり。 特攻隊の出撃基地になっていたこともあったそうです。終戦後は米軍に接収されたのちに民間空港になったという歴史があるそうです。

そんな宮崎空港の近くには今も英霊たちの慰霊碑:宮崎特攻基地慰霊碑が残ると知り。
 宮崎空港に到着し、まずは訪れたいと思い訪ねてきたという個人的な備忘録となります。

初めて到着した宮崎ブーゲンビリア空港。
飛行機を降りて、最初に訪れた空港内のトイレの表示からもすでに南国感がある。

賑やかな空港内。 AM7からPM21毎時の1日15回からくり時計が動くのも面白い。
奇妙なヤシの木が気になるけど…あえて触れないでおこうw

空港近くのレンタカー屋で車を借りて目的地へ。

空港近くのレンタカー屋のスッタフにも慰霊碑について訊ねてみたけど、存在を知らないと言われてしまった。地元の人でも知らない人は知らないようだ。

 宮崎特攻基地慰霊碑の場所などは、事前にGoogleマップの航空写真やストリートビューなどを使い確認してきた。
けど こうして案内板を実際に見ると安心。

もの凄く通ってはいけない道を通行している気分。
空港警備の車とすれ違った時、何か言われるかと身構えたけどスルーだった。

このフェンスの向こうは空港。  
こんだけ近いと開放感よりも緊張感がある。

そんな場所に残る赤江海軍練習航空隊門柱

この門柱は海軍航空隊宮崎基地の営門(西門)にあったもので、営門を戦後の道路拡張工事のさいに、現在の場所に移設されたらしいです。

車が十分にすれ違えるスペースがあったので、車を停めさせてもらう。
 もう一台車があったので他にも参拝者がいるかと思ったけど、飛行機の写真を撮りに来ている人だった。

到着した宮崎特攻基地慰霊碑
同基地から出撃した宮崎県出身の特攻隊員約385柱と、宮崎基地以外から出撃した特攻隊員を加えた計799柱が慰霊されている。

当時の滑走路は現在の滑走路と同じ位置とは別に1本または2本が設置されていたらしいが、宮崎基地は度重なるアメリカ軍の空襲により飛行場は軒並み破壊された。

2024年10月2日 宮崎空港内で不発弾が爆発したのは記憶に新しい。

昭和58年に建立された「鎮魂の碑」

慰霊碑のすぐ裏を特急にちりん?特急ソニック?が走り、その都度列車の音が響く。
空を見上げれば飛行機が頻繁に離着陸。

敷地内には享年20歳という若さで散った特攻隊員の遺書や遺詠などがある。
他には英霊たちの名前と出身が書かれた石板もあった。 息が苦しくなるほど切ない…

参拝者のための記帳所。 鍵が掛かっているかなと思ったけども、開いていたので記帳させていただいた。
 また 中にはこんな案内があった。

宮崎空港の近辺には今も軍事基地としての名残が残っているそうで、掩体壕や弾薬庫などを巡る探索コーナーのマップがあった。  ここから掩体壕までなら歩いて行けそうだけど、参拝以外の目的で車から離れるのも迷惑行為かなと思い断念。

詳しくはわからないけども、航空大学校があるからか旅客機以外の飛行機も頻繁に飛んでいる。
   戦時中も飛び立つ特攻機を見送る人は、こうして見上げていたのかなと思ってしまった。