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都道府県別B級珍スポ

東京 東京 江戸の刑制史上重要な遺跡が見れる・鈴ヶ森刑場跡に行ってきた。

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東京都品川区 にある鈴ヶ森刑場跡

東海道に面している鈴ヶ森刑場は慶安4年(1651)に江戸の南の入口沿いに開設。 明治4年(1871)に閉鎖されるまでの間に10万人から20万が処刑された場所といわれているが、詳細な人数は記録がないため不明のようだ。

そんな鈴ヶ森刑場跡東京都指定文化財しながわ百景ともなっており自由に見学出来るというので、訪ねてきたという誰のためにもならない、個人的な備忘録となります。

京急線大森海岸駅から交通量が多い国道15号線沿いに歩く。
途中 しながわ水族館があった。 中学だか高校の時に授業の一環で来たことを思い出したけど、まさか刑場跡訪問でまた近くまで来るとは…

しながわ水族館と鈴ヶ森刑場跡は、こんなにも近い場所。
 水族館の前後に刑場跡も見学していきましょう♪ なんてファミリーはそうそういないだろうなと妄想しながら1人進む。

四六時中交通量が多い国道15号と旧東海道の間にある鈴ヶ森刑場遺跡
街道沿いに刑場があったのは警告を与えるための見せしめの意味もあったとか。

1695年(元禄8年)測量された検地では、間口40間(74メートル)、奥行9間(16.2メートル)あったらしいけど、国道15号線の拡張工事に伴い、現在は当時ほどの広さはないようだ。

にしても刑場跡を見下ろせるすぐ近くまでマンションが多い。
国道沿いなので違反者を取り締まる白バイのサイレンが度々聞こえてくる。

鈴ヶ森刑場跡は大経寺の境内となっていますが、自由に見学できるようですね。
  

マップを見ると色々と史跡があるようだ。場所も場所なので静かに見学させていただく。

鈴ヶ森刑場で処刑された人々を供養するために建てられた日蓮宗寺院。 
もともとは刑場に隣接する小堂が起源らしい。

境内にはお線香が販売されていたので購入。合掌


鈴ヶ森で処刑された者の中には数多くの有名な人もいるけども、丸橋忠弥や八百屋お七もここ鈴ヶ森刑場にて最後を迎えた。

供養塔のそばには、実際の処刑に使われた「磔台」「火灸台」が生々しくも残されている。

自分には霊感も無いし、心霊スポットだとも思わないけど… 想像するとゾゾゾとしてしまう。
にしても「礎石」がこんなにも近いのか?と思ったけど、やはり元あった場所からは移動してきたようだ。

元禄11(1698)年に建立された題目供養塔。高さ3m超の石塔には”ひげ文字”で南無妙法蓮華経と書かれている。

境内には鯉塚・馬頭観音も祀られている。

境内に残る遺跡「首洗の井戸」
説明板にも解説があったけど、名前だけで色々と想像できてしまう。

覗いてみようと思ったけど、金網があったりして近寄れず深さなどは確認できなかった。

江戸の処刑場・鈴ヶ森刑場跡を訪ねてみました。 とんでもない人数が処刑されている鈴ヶ森刑場だけども、その多くが身分制度を維持していくためという理由だけで、役人が無罪である人達に自白を強要するだけに耐えがたい拷問を続け。 無実なのに処刑されてしまったらしいです。