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都道府県別B級珍スポ

沖縄 首里城の地下に今もある 第32軍司令部壕

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沖縄県那覇市の首里城。 あまりにも有名な観光地でもあり、14世紀頃に創設されたとする琉球文化独特のお城。
 2019年の10月31日 首里城火災により正殿を含む8棟が消失してしまったのは記憶に新しいけども、実は沖縄戦の時にも米軍の集中砲火により首里城は焼失しており、 その攻撃目標は首里城の地下にあった司令部「第32軍司令部壕」とのこと。 そしてその「第32軍司令部壕」の出入口は、今も見るだけなら可能と知り行ってきた備忘録です。

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華やかなイメージの首里城公園

守礼門

目的地である 「第32軍司令部壕」 は、首里城公園内にあります。 首里城は一部有料エリアとなっていますが、第32軍司令部壕は無料エリアにあるので、見学はいつでも可能です。
 ですが… ここまで来たので先に首里城を見学。  

 自分の好きな2千円で有名な守礼門。 
沖縄県内には2千円札が今も普通に流通してるなんて聞いた事があるけど、どうなんでしょう? 見なかったけどな…

有料エリアに入ると、まず最初に目に入ったのが…
 2019年の10月31日 首里城火災 の処理。   

、漆喰を剥がして復興のため再び使うため仕分け・保管

黒い袋の中は、形を保ってる瓦とかが入っており、漆喰を剥がして復興のため再び使うため仕分け・保管と説明していただきました。

残った基礎部分

自分は初めて訪問したので、以前の姿を知らないながらも…
 とんでもない事が起きてしまったのだと肌で痛感。

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世界遺産の 園比屋武御嶽石門

園比屋武御嶽石門

首里城公園の有料エリアを見学し終えて、さあいよいよ 「第32軍司令部壕」 に行こうと思い、首里城公園で貰ったパンフレットを広げても 司令部壕 の記載がありません。

近くにいた案内の人に聞くと丁寧に教えてくれて、いったん世界遺産の園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) まで戻ります。 ちなみにこちら 園比屋武御嶽石門 も沖縄戦では、一部破壊されましたが1957年に復元されたもの。よく見ると積み上げられた石が異なる箇所がある。
 

弁財天堂方面に移動

少し観光ルートを外れると見事な城壁

城の内部は道も細いところも多いが、城の外は城壁で囲われてるので消防車の出入りも難しそう。 消化活動がいかに大変だったかと思った。

階段左手

さきほどの世界遺産 園比屋武御嶽石門 から徒歩3分もかからない場所。
 先ほどまで他にも観光客はいたのに、ここでは通り抜けで利用している地元らしき人しか見かけなくなった。

この階段を降りたところにひっそりと 「第32軍司令部壕」 の案内板がありました。

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「第32軍司令部壕」 への出入口

「第32軍司令部壕」  の案内板

先程までの首里城公園内の華やかな解説板とちがい、手入れがされてないのが伝わってくる…

茂みの中に奥に続く道があり、少し進んでみた。 
 画像中央に先ほどの解説版があります。 そしてすぐに…

封鎖されている第32軍司令部壕

ありました。

寂しさ・孤独感のような何ともいえない気持ちになりましたが 「第32軍司令部壕」 の出入口です。

実は出入口はここだけじゃなく、5カ所あるようです。 先ほどの石階段を降りた右手(解説板の反対)茂みにも似たような出入口がありました。
 ※追記 調べたところ反対側は、第32軍合同無線通信所跡とありました。

なお 第32軍司令部壕 は、日本軍が南部に撤退する前に米軍に利用されまいと爆破しており、崩落の危険性から内部には一般人は入れません。 この 第32軍司令部壕は首里城の地下を南北に横断するように掘られており、全長1キ口から2キロの壕に、1000人以上の兵士がいたといいます。 Youtubeなどで検索すると内部の映像も見れます。 

シーサーが見つめる
那覇市内を見つめるシーサー

首里城の地下に、今なおも戦争遺構である 「 第32軍司令部壕」 が存在することを、知らない本土の人間は自分だけじゃないと思います。 

首里城はあまりにも有名な観光地でもあり、琉球文化を伝えてくれる場所でもあるけど、その地下には歴史と一緒に埋められそうな戦争遺構もある事を知って欲しいとも思いました。