毎年 大みそかになると第九が歌われてる機会が多い
そのルーツを探ると 徳島県の板東俘虜収容所に答えがあると知り行ってきました。
板東俘虜収容所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第一次世界大戦期、日本の徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に開かれた俘虜収容所。ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵(日独戦ドイツ兵捕虜)4715名のうち、約1000名を1917年から1920年まで収容した。1917年に建てられ、約2年10か月間使用された。収容所跡は2018年度に国の史跡に指定された[1]。現在はドイツ村公園として整備されている。
最初 この説明を見て 『第九』と関係じゃんと思ったけども、
現地の写真と合わせて簡単につづっていきます
実際に板東俘虜収容所があった場所へ
訪問時 (令和2年2月) 周りに人気は無く、本当にここなの?
と思わせる場所にありました。
無料駐車場もあり そこに停めさせてもらい散策
ひっそりとありました。
でも 写真を見ての通り 遊具の無い公園のような場所です。
横に目をやると 説明書きが用意されており
間違えなく ここが板東俘虜収容所跡だとわかります。
すぐ横には集合住宅があり 24時間誰でも入れるようになっておりますが、
近くに住民の片も居られるので夜間の訪問は避けた方が良いと思います
収容所と第九の関係?
地図があったので見てみると、敷地はそれなりに広いです。
建物は全て取り壊されてるけども、基礎は残っており、所々 説明の看板も残ってます。
この説明の看板が無いと何の後なのか、さっぱりわからないから ありがたいですね。
かつては兵舎が8棟あり、約1.000名が生活していたらしい
収容所は、兵士の捕虜を収容する8棟の兵舎(バラッケ)を中心に、多数の運動施設、酪農場を含む農園、ウイスキー蒸留生成工場を有した。パンを焼くための竈も作られた。農園では野菜が栽培された。捕虜の多くは志願兵となった元民間人で、彼らの職業は家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々であった。彼らは自らの技術を生かし製作した“作品”を近隣住民に販売するなど経済活動も行い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自分たちでパンを作る以前に、それを許可して パン工房を建てるのも驚きです。
何より当時 町の人々はドイツ兵捕虜を「ドイツさん」と、親しみを込めて呼でいたそうです。
それだけ交流も行われており そこでアジア初演となるベートーヴェン「第九」全楽章の演奏も行われましたようです
アクセス&鳴門市ドイツ館
こちらの板東俘虜収容所跡は、手入れはされてるようだけども無人でいつでも見学できるようです
また車で近い所に、より詳しい説明用意されているらしい
【ドイツ館】という場所もあります
自分は時間の都合上 中に入れなかったので詳細はわかりませんけど 笑
今の時代も世界の何処かで争いは続いてます…
そんな中でもたくましくも強く異国の地で生活した人は確かにいました。
今 自分がこうした時代にいる事を幸運に思うと同時に、第九を聞く度
ここでの感じた事を強く思い出します。