青森県新郷村にはキリストの墓がある。
さらにはエジプトのピラミッドよりも古いと噂の大石神ピラミッドが近くにあったりと、自分にとっては誉め言葉としてヤバイ青森県新郷村。
そんな青森県新郷村は以前より興味があったけども、十和田湖と八戸市内の中間地点にあり、訪れるにしても車じゃないと訪問がむずかしい場所です。
そんなキリストの墓とキリストの里伝承館を訪ねてきた個人的な備忘録となります。
※大石神ピラミッドも訪ねてきましたが、また後日にでもブログで綴る予定です(`・ω・´)ゞ
キリストの墓 と書かれた嘘みたいな表示
これぞ珍スポットともいえる場所だと思っていたけど、到着時の駐車は平日ながら満車状態で驚いた。
第二駐車場まであるし。 ※撮影は帰る時
自分が知らなかっただけで有名スポットだったようだ。 失礼しましたm(__)m
駐車場近くには「キリストっぷ」という店まであった。 どこか聞き覚えのあるような感じだけど気のせいだろうか 笑
是非 店内も見たかったけど土日のみの営業らしく、訪問日は平日だったので残念。
キリストの墓も見たいけど、せっかくならばキリストの里伝承館も行って学びたい!
休館日が水曜日と珍しいので、訪問する人は注意してほしい。
車を停めて、まずは新郷村 キリストの墓を目指します。
駐車場にあった案内板をしっかり見ていれば、こんな大自然の公園内を歩かなくても行けたようだ。
自然に囲まれ、マイナスイオンたっぷりで気持ちよいね♪
と思っていたけども、長い階段だったり、虫もいるなどして違うルートで行けば良かったと後悔。
階段を登りきり、敷地内を探索するとキリストの墓の解説板。 英語での解説もあり。
ざっくりまとめると…
ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡っていた! と書かれた古文書が昭和10年に茨城県磯原町で見つかる。 古文書を頼りに新郷村まで探しに来ると、本当にキリストの墓が見つかりました。 とゆうことらしい。
ゴルゴタの丘で処刑されたのは、身代わりになった弟のイスキリ。 そして難を逃れ日本に渡ってきたキリスト。
日本(戸来村)で生活しだしたキリストは日本人女性と結婚し、3人の子供をもうけて106歳まで生きたらしい。
撮影するのも恐れ多い気もするが、こちらがイエスキリストのお墓。
土まんじゅうに十字架
そして隣には兄の身代わりになったという弟イスキリが、兄と並ぶように祀られている。
ちなみに聖書には、キリストの弟と言われているイスキリは登場してこない。
キリスト・イスキリのお墓の先にあるのが、キリストの里伝承館。
おお めちゃめちゃ雰囲気がありますね。
普通に考えたらキリストの墓というのも突拍子がないですけども、村の地名や風習にはキリストと関係ありそうなものが幾つかあり、それらをキリストの里伝承館では展示物や映像資料で紹介してくれます。
館内にはあのオカルト雑誌月刊ムーとコラボしたコーナーもあるのは驚いた。 期間限定なのだろうか?
建物前に置かれたCDプレイヤー。 なんか久しぶりに見た。
「ナニャドヤラ」という東北地方の一部で伝わっているというお囃子に似た盆踊りが聞けます。 毎年「キリスト祭」という慰霊祭の踊りでも使用されるらしい。 歌詞は意味不明なので諸説あるけども、中には元はヘブライ語説というのもある。
「ナニャドヤラ」以外にも、キリストを連想させるような点が新郷村には多い。
- 新郷村の合併前の村名は戸来村(へらいむら)とありヘブライと似ている。
- 村には家紋をダビデの星にしている家がある。
- 村には子どもの額に墨で十字を描く慣習がある。
などなど調べるとまだまだ出てくる
とはいってもそんな訳ないよね。 でももしかしたら…!? と思わせてくれる新郷村のキリスト伝説。
他の説としては、ロシア人船夫が遭難して辿り着いたのが新郷村で、運よく助けられた彼はそのまま住みだし、村の娘と結婚し生涯を遂げた。 ロシア人船夫がキリスト教だったので、異国の地で亡くなった彼を不憫に思った村人が十字架をたてたという説。 あとは普通に戸来村農民のお墓という説。
正直 こちらの説の方がしっくりとくる。
色んな説があるけども、肝心の村の人達はキリスト伝説が本当だったら良いな~という感覚でやっているようにも思える。
なので訪問者もキリスト伝説にはロマンがあって面白いよね♪ という感覚で訪れるのが一番の楽しみ方かもしれない。(*’ω’*)
人口約2.100人ほどの青森県新郷村にとっては、キリスト伝説は重要な観光資源であることはまちがえないので、訪れて何らかの形で応援できればそれはそれでよいと思う。