伊能忠敬記念館へ行ってみた。
伊能忠敬 自分が知っている知識は、日本中を歩いて200年前とは思えないほど精巧な地図を作りあげたという 程度の知識しかありませんでした。
千葉県香取市に伊能忠敬記念館があるというので行ってきました。
伊能忠敬とは、どんな人物
伊能 忠敬(いのう ただたか、延享2年2月11日(1745年2月11日) – 文化15年4月13日(1818年5月17日))は、江戸時代の商人・天文学者である。通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国を測量して『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊能忠敬記念館
中は撮影禁止なので、写真等は取ることが出来ませんでした。 入場料 大人¥500円を支払い中へ入ります。
こんな事を言ったら失礼だけども… 思ったよりも人が居るのが驚きました。
伊能忠敬の生い立ちから 計測で使った道具、計測方法、実際の地図などが展示されており
またガイドらしき人もおり 訪れた人の質問などに答えてる姿も見受けられました。
自分は何の予備知識も無く来たので計測方法など難しすぎてチンプンカンプン
歩いて計測だけしてるかと思ってましたけども、それでも30分ぐらい見学して楽しめました。
今回 記念館を訪問して知ったのですが、 それまで 伊能家は酒造り、米、薪、燃料等、不動産業 などなどの取引きを行なっていたものの、その商売は上手くいっておらず、忠敬の才覚で 29歳からの20年間で伊能家の年間売上を約4倍近く伸ばしたらしいです
地図だけじゃなく、 経営者としても才能があったのですね、出来る男は違いますね。
50歳を過ぎて 興味から行動 年下からでも学ぶ姿勢
伊能忠敬は49歳の時仕事を長男に譲り 、それから天文学を本格的に学ぶために弟子入りを果たします。
その弟子入りした相手が、19歳年下。年齢差はあるけども、師と仰ぎ 熱心に天文学に打ち込んでいったらしいです。
いつの時代でも年下から学ぶ姿勢って、プライドがあったりすると難しいと思うけど
当時はどうだったのでしょうか? 今でも19歳下から学ぶのは大変だと思うけど、それ以上に学びたいという探究心が本当にすごい人だったんだろうな
有名な地図作りは55歳から
天文学から地球の大きさを知りたいという気持ちから、 日本地図つくり一日約40キロ近くも歩いたらしいです。
なんていう探究心 そして体力。
73歳でこの世を去るまで、計10回にわたって日本全国の測量を続けます。
伊能忠敬が歩いた距離は4万キロとされ、地球1周分の距離。
樋橋(ジャージャー橋)
記念館近くには、樋橋(ジャージャー橋) 30分おきに水が樋橋から落ちていきます。
自分は待たずに丁度見れたので 得した気分!
でも 今のこれは観光用で作られたものらしいです。
にしても なんとなく来たけど、学ぶ意欲はいつの時代でも
何歳からでも可能なんでしょうか? 意欲を行動に移せて 継続出来るのが羨ましい
記念館裏には、少しわかりづらいですが駐車場もあります。
他にも観光したい人は、こちらが近くて時間を気にせず停めれるみたいですよ。
自分は場所がわからず 離れたコインパーキングに車を停めました。