長崎県島原市にある旧大野木場小学校被災校舎と大野木場砂防みらい館を訪ねてきました。
平成3年(1991年)に雲仙普賢岳の噴火により被災した旧大野木場小学校被災校舎が今も保存されており、その隣には溶岩ドームの監視を監視することを目的した正式名称「大野木場監視所」 どちらも無料で見学出来るというので訪ねてきた個人的な備忘録となります。
目的地を目指すにあたり徐々に山(眉山)が近づいてきて迫力がある。
ようやく到着した大野木場砂防みらい館。
ここに来るまでの道中には複数の砂防ダムなどの工事がされており、Googleナビだと通れないような道も案内されてちょい大変だった。
建物横には無料駐車場も設けられており利用させてもらう。
ここまで来ると普賢岳が近い。
国土交通省所管の大野木場砂防みらい館。
表の看板には入場無料とあるけども、館内は静かで誰もおらず本当に入館していいのか不安になるほど…
内部は地下1階から3階までが見学スペースとなっておりエレベーターなども完備。※4階は一般人は立ち入り禁止の監視部屋。
災害の驚異と自然災害のすざましさを展示物やパネルで伝えてくれる。
資料などが多いのかなと思ったけども、上階に移動すると映像資料なども用意されていた。
あらためて航空写真で自分がいる場所を確認(画像右側端・白丸囲部分)
自分が水無川沿いに居るなと理解できた。
ここから約800メートル先の「定点」では大火砕流によって実際に人が亡くなっている。
展望スペースも設けられており、砂防ダムや無人化施工技術について理解できた。
大野木場砂防みらい館の隣にはある火砕流によって全焼した被災遺構 旧大野木場小学校
こちらも見学することができるので行ってみました。
画像は校舎裏側になるのですが、すぐに違和感に気付くこの柵
特に解説板などはないけども、火砕流の熱で歪んだなと容易に想像できる。
火砕流は400~700度ほどの温度で、時速約100㎞の速度で駆け下ってくる。2階部分の窓枠も歪んでいる
大野木場小学校は1991年9月15日の火砕流で焼失して、今も当時のままの姿で保存されている。
グランド側から見る教室。 もちろん校舎内に立ち入ることは出来ない。
教室らしき場所の天井からテレビ台のような物が伺える
校舎3階を見上げると当時のテレビが残っていた。
にしてもテレビが外を向いているのは火砕流の影響なのだろうか?
グランドには解説板があったけども経年劣化によってだいぶ読み辛い…
そんな中でも目が釘付けになってしまった写真があった。
真ん中の写真「1991年6月3日」に発生した大火砕流の絶望感がすごい。
校舎裏まで火砕流が迫っているのに、まさに校舎から小学生や教員が避難している様子。
この時の火砕流は裏手の水無川で向きを変えてくれたので、この小学校では誰1人として犠牲者は出てません。
かつてはこども達の声が響いた校舎は静けさで包まれていた校舎。
一時は解体するという話もあったようですが、全焼した校舎がそのままの状態で残され火砕流の恐ろしさを今も伝えてくれます。