東京都江東区にある”夢の島”には、木造のマグロ漁船『第五福竜丸』が展示してあります。
1954年(昭和29年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で、遠洋漁業中であった第五福竜丸の乗員23人の漁師たちは、アメリカが行った水爆実験によって被害を受けてしまいました。
第五福竜丸は一度は、ゴミの埋め立て地であった夢の島に捨てられたが、船の保存をしようと1976年に東京都により展示室が設けられているとのことなので見に行ってきた個人的な備忘録となります。
最寄り駅新木場駅から歩いてみた。
新木場駅は複数路線の乗換え駅なので、平日の昼間ながらも利用者が多かった。
遠くに見える新江東清掃工場。遠いけどもデカい
船の形をした建物、出入口がガラスとなっているので中も伺えて入りやすい雰囲気。入場料は無料
中には第五福竜丸が中央に
中に入ると、建物内部中央に第五福竜丸が展示してある
- 総トン数 – 140.86トン
- 全長 – 28.56メートル
- 幅 – 5.9メートル
- 馬力 – 250
- 速力 – 5ノット
見上げるような高さだけども、このサイズの船で遠洋漁業しているとは驚きだ。それに木造漁船だし
”死の灰”の正体は水爆実験で吹き飛ばされたサンゴ礁のかけら。
これが船上でも足跡が残るくらいに降り積もったとのこと。 もちろん死の灰は放射性物質を含んでるいるので、第五福竜丸の乗員23人の漁師たち全員が被爆。
被爆したのは漁師達・水爆実験が行われたマーシャル諸島の人々だけではなく、獲ってきたマグロも汚染されていた。
当時 実際に使用されていた、ガイガー計数管も展示されており緊張感がでてくる
放射汚染という恐怖は瞬く間に日本中を駆け巡り。 消費者の魚への不信感はとどまらず、水産業界全体が冷え込んだ。
実際は放射能の雨により、水産業だけじゃなく農産物全体にも混乱を与えることに
太平洋を中心とした広い海が放射能で汚染され、被害を受けたのは第五福竜丸以外の船も赤丸の数だけ被爆した
階段が用意されており、第五福竜丸の甲板も見る事ができる。
木造船である”第五福竜丸” まじかで見れるのも迫力がある
エンジンと悲劇を伝える石碑「マグロ塚」
屋外には第五福竜丸のエンジンが展示されている。
被爆後は他の船に乗せ換えられるも不幸にも沈没してしまった。がそれを引き揚げて展示
被爆したマグロなど魚類計約五百トンが廃棄され、一部は築地市場に埋められた, 悲劇を伝える石碑マグロ塚を築地市場に設置。
ただ現在は築地市場は移転問題以降現在も仮置きされたまま
本当の平和の尊さを再認識させられる場所。 核の恐ろしさがジワジワだけども確実に伝わってくる