足尾銅山と聞いてまず思い出すのは小学生の時 全国の公害を学んだ時に、田中正造が明治天皇に足尾鉱毒事件を直訴しようとしている絵が、なぜだか深く印象に残っており忘れられない。
かつて東アジア最大規模の銅の産地でもあり「日本一の鉱都」と呼ばれ大いに栄えた足尾銅山。しかしその一方、日本での公害原点でもある足尾銅山。 今は銅山は閉山しているけども観光出来るらしいので行ってきました。
足尾銅山観光に行ってみた
訪問当日 到着が遅れてしまい。 足尾銅山で乗るトロッコ最終時間になってしまいました。 もう少し遅れていたら見学出来ないところだった(;’∀’)
チケットを購入して トロッコ出発時間が迫っているようで前の人達についていきます。
奥に見えているのが、乗るトロッコです。 抗夫が股を開いてお出迎え。
前の人に続きトロッコに乗りこむも、車両先頭で圧迫感がすごい(;’∀’) ※新型コロナ流行前の訪問
390メートルのトロッコ移動
最初はゆっくりだけど、途中速度が出たりと意外と迫力のある乗り物トロッコ。 トロッコを降りると、いよいよ坑内の一部である開放全長700メートル。薄暗く・ひんやりとした坑道を探索できます。
坑道内では足尾銅山の約400年にわたる歴史を、リアルすぎる人形達で再現されてます。
この画像は坑道外だけども、女性も大勢働いてた様子
江戸幕府直営の銅山から、民営化されると最新の技術や設備によって急速な発展をとげ、日本一の銅山に成長しました。
足尾銅山の最盛期には、人口が県内2位の約3万8千人余りに増え続けた。
にしても もうね人形がこわいんだよ! もともと坑道内に照明があるとはいえ薄暗いところにリアルな人形
見学通路にも人形がいるんだもん。 近づいて人形と気付くまで普通にスッタフさんが点検しているかと思ったよ。
作業現場などでよく見聞きする『安全第一』それのの前身である『安全専一』 もともとアメリカの製鉄会社で提唱されていたSAFETY FIRST(セーフティファースト)が翻訳されたものらしいです。
外に出ると開放感たっぷり
訪問時間が遅く 閉館時間も迫っていたので、写真だけにしてしまったけども… さく岩機体験コーナー。もし再び訪れる機会があれば挑戦したい。
屋外にもトロッコが展示
とまぁ~ 駆け足で見学してしまったけども… 足尾銅山の歴史を気軽に学べる場所でもありました。
公害被害に対しては過去の話ということもなく、あの東日本大震災のときの揺れの影響で足尾鉱毒事件で有名な渡良瀬川では、鉱泥堆積場が崩落が発生して、川水から環境基準の約2倍の鉛が検出されたこともあり。公害問題の根深さも感じます。
自分も時間に余裕を持って足尾銅山観光場所以外の所も見て回りたかったのが本音。