沖縄県中頭郡読谷村には、戦時中の飛行場で使用されていたという掩体壕が残っているという。1978(昭和53)年まで7基ほどあったけども、現在ではこの1基が残るのみ。掩体壕はこの地が旧日本軍の飛行場があったことを伝える貴重な戦争遺跡なのに、自由に見学が出来るという。
このブログは歴史解説などもなく、ただ読谷山飛行場跡・掩体壕を訪問してきたという誰のためにもならない個人的な備忘録となります。

読谷村のほぼ中央に位置する読谷補助飛行場跡。まっすぐな道が続く
※すぐ隣にはもっと幅広い読谷補助飛行場跡の道路があるけども、親子連れが平和そうにボール遊びをしていたので撮影は控えました(;´Д`)

お目当ての掩体壕が見えてきた。
読谷村指定文化財に指定になっている為か解説まで設けてくれている。旧日本軍が戦闘飛行機を隠し、機体を守るらめに作られたセメント造りのシェルター。

1943(昭和18)年に旧日本軍により急ピッチで計画・実施された沖縄北飛行場。1945年4月1に読谷に上陸したアメリカ軍だったけど、その少し前に旧日本軍は飛行場を破壊・放棄していた。 しかし米軍はすぐに飛行場を読谷飛行場として復旧・運用開始し、2006(平成18)年に完全返還されるまで続いた。 ※ほぼ嘉手納飛行場の補助として。

義烈空挺隊玉砕之地碑:読谷飛行場への強行着陸に成功したのは1機のみ。しかし義烈空挺隊の破壊工作に多大なる被害をだし、アメリカ軍海兵隊は翌日まで飛行場を使用不可にするほど。

掩体壕は高さ約5m、幅約20m、奥行き約10mとある。
画像ではいまいち確認出来ないけども掩体壕の縁には弾痕跡も。


こちらにも掩体壕や周辺のガマでの惨劇などの解説板が設けられていた。

内部は戦争遺構保存のために鉄骨で補強。

とはいえ風化がすすんでいる。そりゃ80年以上も経過してるだもんな… 天井の一部は鍾乳石のように垂れており、時間の経過が伝わってくる。

裏側にも周ってみると半分埋められたブロック積みがあった。 こんだけ近づけることにも改めて驚き。

なんか覗けそうな箇所があったので見てみる。

中を覗き込んだ時、ゆっくりと時間が経過していく戦争遺跡に背筋が伸びる思いがした。 改めて観光で訪れることができた状況に感謝した。

米軍上陸の地碑(写真ピンボケのためボツ)を見学後に、人気映えスポットでもあるアメリカンビレッジへ。
夜に訪問したのは初めてだったけど、こりゃ散歩してるだけでも綺麗だわ。 なんか花火も見れた。

アメリカンヴィレッジは街並みや建物の雰囲気がアメリカのようだと人気スポット。 自分はアメリカに行ったことないけど、想像する華やかなアメリカが凝縮されるようなエリア。 米軍基地の人達も遊びに来てるからなお更に感じる。 日中は戦争遺跡を巡り、夜はアメリカンヴィレッジで締める工程に少し違和感を感じつつも終。
