平成2年(1990年)11月17日に198年ぶりに噴火した長崎県の島原半島中央部にそびえる雲仙岳
約5年間にも及ぶ噴火の間には、人的被害も出した土石流や火砕硫も発生したことは当時小学生だった自分もハッキリと覚えてる。
そんなおぞましい自然の驚異を風化させないようにと後世へと繋ぐことを目的とした長崎県島原市にあるがまだすドーム(雲仙岳災害記念館)を訪ねてきた個人的な備忘録となります。
長崎県島原市内で宿泊したビジホからの景色。
部屋から雲仙岳だけが見える!と思ったけども眉山だった。
平成14年にオープンした日本でも珍しい火山体験学習施設のがまだすドーム・雲仙岳災害記念館
とにかく駐車場も広いのも印象的だった。
なんとも言えないキャラがお出迎え。これも土石流だったのだろうか?
館内に入るとスッタフの方から『島原大変劇場』がちょうど始まるというのでついていく。
そこでは今朝部屋から見た眉山が、1792年の普賢岳の噴火により大崩壊し、有明海を挟んで津波を発生させる島原大変肥後迷惑という立体紙芝居を鑑賞。 この影響で今では景観地となっている九十九島が出来るなんてことまで学べた。
『島原大変劇場』を見終わると、今度は別スッタフさんより『平成大噴火シアター』が上映されると案内をうける。
まったく無駄のない流れだ! 先程の紙芝居と違い災害~復興をドラマチックに再現。
『平成大噴火シアター』を出るとすぐに『焼き尽くされた風景』が広がっていた…
平成3年(1991)6月3日 大きな溶岩ドーム一部が崩壊して大きな火砕流となり、民間人や地元の消防団員、報道関係者など43名が犠牲となった。火砕流被災撮影機材なども展示されていた。
一部の報道関係者が避難勧告を無視して撮影を続けた結果、引き返すように促していた地元消防団や警察官も犠牲になってしまった。 改めてやるせない怒りがこみ上げてきた。
火砕流の高熱に晒されたのが生々しいほど伝わってくる
展示スペースの中央にあり目立つのは「火砕流の道」
一定時刻になるとガラス張りの床下内に赤い光が発生して時速100キロをで体感できる
火砕流は高熱の火山灰や溶岩の破片、ガスなどが混ざり斜面を高速で流れる現象だ。時速100キロにもなるので人が逃げるのは不可能だろう。
当時 小学生だった自分は走れば逃げれるのでは?と思っていたけども、どんだけ愚かな考えだったんだと改めて恥ずかしくなった。
ガラス越しに見えてるのは、実際に火砕流によってなぎ倒された木々
立体的な地図で土石流の範囲を確認出来る。
今自分がいる場所もその土石流が海を埋めてできた新しい陸地に建設されたのが「がまだすドーム・雲仙岳災害記念館」
訪問日は天気も良かったので展望デッキへ移動。
先ほどまで見えていた雲仙岳だけが雲に覆われているけども眉山は見える。
かつて眉山は大崩壊したと学んだけども、改めて山のかたちを見ると納得。
有明海を挟んで熊本県が見える。
こんな平穏に見える場所でも、江戸時代の噴火では津波が発生したかと思うと改めて人間は自然の前ではちっぽけな存在だと痛感。