人生で長崎県に行く機会があれば是非行きたいと思っていた場所。
平和記念公園や長崎原爆資料館を訪れ、改めて戦争の悲劇を知った。
そのあとは長崎市内の戦争遺構を巡ることにしてみたのですが、爆心地から約2.7キロ離れた距離にある長崎県防空本部(立山防空壕) ※以後立山防空壕。 今も防空壕の内部が見学出来る状態で保存されており、無料で見れるというので訪ねてきた個人的な備忘録となります。
長崎歴史文化博物館の裏手にある立山防空壕。
長崎公園内の崖下にあるので市内からは坂道をあがって到着
画面一番右側が入口となっており中央から出てくる経路。
一番左は別の出入口となっており見学経路としては独立してる。 無料で見学出来るとあるけども、管理スッタフの方がいたので一応声掛けしてから見学した。
長崎県防空本部は、太平洋戦争中、県の防空施策の中心的役割を担っており。空襲警報が発令されると、県知事らの要員が集まり、警備や救援・救護等各種応急対応の指揮、連絡手配に当たっていた場所で、壕内には知事室や警察部長室、防空監視隊本部などが配置されていました。
無料で見学できるのに入口ではパンフレットもあったので、ありがたくいただきました。
防空壕はさほど大きい訳でもなく、10分もあれば説明を読んで見学も出来そうだ。
平成17年11月から一般公開されている立山防空壕。いよいよ内部へなんだか緊張してくる
入口すぐには補強工事のために取り除かれた通路仕切り壁の一部を標本として展示してくれている。
当時は物資不足のため鉄筋が手に入らないため、木材の構造物を芯に、外側にはモルタルを塗り壁強度をあげる工夫がされていたようだ。
画面がぶれてしまったけども、この雰囲気は以前 沖縄で訪ねた旧海軍司令部壕を思い出した。
旧海軍司令部壕
防空壕内にある長官室(知事室)
1945(昭和20)年8月9日の原爆投下時、ここにいた県知事たちは3日前に広島に投下された新型爆弾(原爆)に関する会議を始めるまさにそのタイミングに、2.7キロ離れた場所に原爆が投下された。
かつての伝令室に防空壕内で見つかった現物資料展示や解説パネルが設置されてる。
この伝令室から別防空壕の防空監視隊本部までの連絡通路があるけども、現在は使用できない状態で一度屋外に出る必要がある。
当時の長崎県知事の証言などは生々しい。自分もまさにその場所に立っているかと思うと自然と背筋が伸びてくる。
原爆投下直後の報告は大きな混乱のため、被害の状況は防空本部まで直ぐには伝わらなかったとある。
爆心地からは尾根を隔てたとはいえ、原爆の衝撃に耐えるような堅牢な岩盤をよく掘ったものだと思う。
防空監視隊本部があったとされる場所。 内部は立ち入れないよう柵があり立入禁止
ここで働いていた方の当時の証言文。ここ立山防空壕も停電になり爆風が吹き込んできたという生々しい証言
こうゆう戦争遺構を訪ねると、無意識のうちに身体に力が入ってしまう。
なので防空壕内から外に出ただけのほんの数分でも開放感がありがたく感じる。
今もつねに世界のどこかで争いが起きていることは忘れてはいけないし、平和の尊さを改めて考えさせてくれた。